その時にはドトールとかでさ
2月24日(日)。晴れ。
今日の予定は午後からだったからというのもあって昨日は遅くに帰ってきたのに(屋上の読書会に参加してた)、いろいろあって早起きしなければならないことになったからさあ大変。自分で選んだし、またとない機会だったからいいんだけど。東京 → 六本木 → 三ノ輪 → 上野と大移動。めちゃくちゃ楽しかったけど、帰ってきた途端にどっと疲労がきてオワ。
お昼すぎ、ミッドタウンでやっていた「未来の学校祭」に行った。
全体のテーマが「ギリギリ」なんだけど、何かの作品についての解説で「日常と非日常の境界を見つめるようになるでしょう」という言葉を使っていて、それがずっと引っかかっていた。
今は、毎日のように、これまで非日常の側に存在していたはずのものが日常の側に軽々しくやってきてしまう社会だと感じていて、そんな状況で「日常と非日常の境界なんてなくない?」というのが正直な感想。見ている世界が全然ちがうんだろうし、感じ方はもちろん人それぞれだけど、表現に関わる人が臆面もなく未だにそんなことを言ってしまえるのは、さすがにちょっと悠長すぎないか。例えば、シャムキャッツが「思ってたよりもすごい早さで全てが普通になって行く」って歌ったのはもう5年(!)も前のことだよ。
そういうことを考えていたら、急にビビビッときて以下のツイートに至ったってわけ。
『ALL THE LIGHT』リリース発表時の「聴いた人を幸せにしたいわけでもなければ、勇気づけたいわけでもない。重要なのは、音楽を聴いたすべての人が直面するであろう、或いはしているであろう、現実という名の「光」なのだ。」っていう田中のコメントの意味、いま完全にわかりました。
— おしこまん△ (@osicoman) 2019年2月24日
GRAPEVINEの最新作のタイトルが「ALL THE LIGHT」で、「光について」という代表曲もあり、インタビューでよく「光ってどういう意図で使っているんですか」と質問されている。そこで「光って聞くとポジティブな印象があるけど、負の面を浮かび上がらせることもできる」というような答え方をしているんだけど、それと、「日常と非日常の境界」という言葉が結びついたような気がした。ビビビッ。
GRAPEVINE - 光について (J-WAVE/Hello World studio live)
今まで、自作についてこんなにわかりやすいヒントを提示することなんてなかった。歌詞ばっか読むんじゃねえ、音を聴けとことあるごとに言っていたのに、わざわざこんな文字だけのメッセージを発表したのはなぜだろう。歳をとってリスナーにやさしくなったのか、これまでの「察してくれ」みたいなスタンスではヤバいと思ったのか。ヤバいと思ったのならそれは何に対してか。想像を巡らせるのが楽しい。
昔のアルバムがそうであったのと同様に、きっと、真に腑に落ちるのは何年か経ってからなんだよな。その時にはドトールとかでさ、歳をとって解ってきた事、語り合っていきましょうや。