ここに雨を降らしてよ

いま読むべき唯一のブログ

占いについて

占い、どうですか?

公言するとたまに友人に煽られたりもするけど、私はけっこう好きです。

自分もたぶん、もともとはとっちこと彼と同じように考える側の人間だったけど、それはきちんと正しいことを知らなかったからなんだな、と今は思う。フィクションの世界でよく見る、フードをかぶって水晶に手をかざして「見える、見えるぞ…」みたいな振る舞いを目の前でやられたらそれは秒で NG だけど、意外とそういう人はいないし、ちゃんとした占い師の人と話すと、誠実に応えてくれる。簡単に進むべき道を指し示したり、いたずらに不安を煽ったりしない。

大辞林 第三版には以下のように書かれている。でも、実感として、これはちょっとちがうよなあ、と思っている。

うらない【占い】 ①何らかの徴を手がかりにして、神意を問うたり、未来の出来事や物事の吉凶などを判断すること。卜占。「星━」「トランプ━」 ②占いを職業とする人。占い師。

占いは、少し立ち止まって自分のことを考えたいときにそれを助けてくれるツールなんだと思う。言われたことを真に受けるだけではまったく意味がない。けっこう当たってるのか全然ちがうのか、思い当たるフシがあるのかないのか、なにか参考にできる部分はないか、いつもより時間を割いて考えてみること。そのきっかけになったのなら、それはよい占いだったと言えるのではないか、私はそんな風に思うのでございます。

ということで、私はめっちゃ参考になったので、ご興味ある方、よかったら連絡してみてください。

note.mu

※ お金をもらって書いた記事ではありません!!!!!!!!!!!!

ツイッターについて

ツイッターのどういうところが好きなのかわかったので共有します。

  1. 好きなだけ自分語りをしていい
  2. それをだれかが見てくれる可能性がある

以上です。あまり動員のためのツイートとかに興味はなくて、延々と好きなものについて語っているような人が好き。昔のツイッターはそういう場所だったように思いますが、まあそんなことを言ってもしゃーなし。

以下、蛇足かも知れない捕捉

人と話すとき、聞き役になることが多い。だいたいいつも自分から望んでそういう役回りを選んでいる。人が何を考えているか知ることは楽しい。役に立ったりどうでもよかったり、解散する頃には話した内容を忘れてたり、数年後に急に思い出したり、いろいろあるけど、それぞれにちがったよさがある。話してくれること自体もうれしいし。

一方で、最近気付いたのだけれど、私は誰かに自分のことを知ってもらいたいという欲求がかなりある。それはあまりよいことではなくて、少しでも心を開いてくれたかな、と思った途端、過剰に自分の内面をさらけ出してしまうフシがある。そういうフシがあるから聞き役になりがちなのか、聞き役になってるうちにそうなったのかもう分からないんだけど、それらは(厄介なことに)うまい具合に補完しあっていて、どちらか片方のみをやめることはできなさそう。どちらも引き受けるしかない気がしている。それで普段はできるだけスマートに、自分のことばかり話したりしないように気を付けているんだけど、たま〜にやらかしてしまう。で、気まずくなったりする。

そんな不幸な目に遭わないためのツイッターなんですね。ツイッターなら、いきなり『BOLERO』の話をし出しても誰にも怒られない。

ベローチェでいきなりこんな話をされても知らんがなってなるに決まってる。私としても、たぶん直で話すと考えに整理が追いつかなくて、うまく伝えられず、相手も理解できず、ただ不毛な時間だけが過ぎていく気がする。人生は有限なので、なるべく不毛な時間は過ごしたくない。伝わるように一度文章として整理することが目的なら、ツイッターでなくブログでもメモ帳でもいいんだけど、2 番目の「それをだれかが見てくれる可能性がある」っていうのがまた重要で、それはツイッターにしかできない。

私は面倒な人間なので、自分のことを知ってもらいたくて、許されるなら延々と話をしていたいんだけど、そのとき、ちゃんと恥ずかしい。知ってほしいんだけどしっかり目を見られて話を聞かれるとツラい、みたいなところがある。ツイッターはそのへんのバランスがよい。誰かには見られてるし、誰にでも見られ得るんだけど、誰にも見られてないような感じもあって。ブログだって原理的には同じじゃん、というのはそうで、ここでツイッターじゃないとダメというのは感覚でしかないんだけど。

ツイッターが自分にとってどんな存在なのか、アカウント作成から 10 年(若気の至りで一度削除したことあり)経って、ようやくきちんと言葉にできた。やったね!

続・積み上げてきた重みってやつについて、あるいは最近の私はなぜ妙にテンションが高いのか

osicoman.hatenablog.com

前回のエントリーとは全然関係ないつもりでキーボードを叩いていたのに、最終的に続きみたいになって感心してる。

興奮気味にツイートしてしまった。それでまた少しフォロワーのみなさんとの距離が開いたと思うと切ないが、自分の選択に起因するのだから諦めもつく。

とにかく、私はそのとき、たしかに自分がいま自分であることに関するありえんくらい重要なことに気付いて、それから、ずっと軽く躁状態だという自覚がある。どこかに出かけたり、人と話したり、何かについて深く考えたり、理由もわからず涙を流したりしたい。中村一義でいうところの「いろんなねぇ、色、音で、出会う感動も、まだ、あるとして…、そう!」ということであり、こういうタイミングで未だにこれを引用してくるのかよ、と自分の引き出しの古さに辟易としていて、そういうのをアップデートしていきたい、ってわけ。


中村一義 - 1,2,3

すごいビデオだなと思ったが、それはこのエントリーの本旨ではない。以下、なぜそう思うに至ったのか、自分のためのメモのふりをしたアピール、所信表明、そういう類のやつが続く。

俯瞰したくない

たぶん子どもの頃からそうなんだけど、自分の行動を俯瞰する感覚がまあまあいつもある。打算。変に冷めている。冷めた子だ、という評価を実際に親から賜ったこともある。それは正しかった。泣くしかないようなシチュエーションだからとりあえず泣いてるんだけど、それ雰囲気で泣いてるだけやん、そもそも自分で「とりあえず」言うてもうてるやん、的なことをしてしまう。程度の差はあれ、という観点では誰しも多少はあるんだろうけど、振り返ると、自分のそれはちょっと度を超えてる。

自分が何をしても、先回りして水を差される。例えば、誰にどう見られてもいいからやりたいことをやれ、と思っている自分がいるとして、それに対して「誰にどう見られて気にせずやりたいことをやっている自分」を演じているんでしょ、とディスられる。気にしないようにしても、毎ターンちょっとずつ削られる。毒ではなくやどりぎのタネっぽくて、少しずつその声は大きくなっていく。

ビジネス書なんかには俯瞰できることが役に立つ、むしろ積極的に俯瞰してゆけ、くらいのことが書かれてたりするけど、自分の経験としては、仕事においてはテンパってやらかしたことの方が多くて、これのおかげで助かったことってあんまりない。その上でプライベートにおいても特にいいことがないのであれば、これはもう完全にいらないスキルなのでは、という疑惑。

「悪い所でも」「あるぜ」
今や100%悪いとしか思えなくなった。神海英雄『SOUL CATCHER(S)』6巻、p.190より

っていうか、いつもツッコミを入れてくるお前は誰なんだ。他にやることないのかよ。

You were here

一方で、そうやって俯瞰してしまう自分を、心のどこかでずっと快く思っていなかったのだと思う。感情に任せてやってはいけないことをやらかしてしまうことが昔から度々あった。散々俯瞰がどうとか言ってたくせになんなんだよそれは、とは自分が地球でいちばん感じてる。これ、全然そうしてしまう理由がわからず、いつの間にかフタをして、なかったことにして生きていた。その試みは概ねうまくいき、フタをしたこと自体を忘れて過ごせていたんだけれど、不意に思い出してしまった、まだ少し暑さの残る秋の夜。思い出してしまったものは仕方ない。せっかくだから考えてみた。ひらめきはいつも唐突に、こっちの都合はおかまいなしに降ってくる。

それらの感情の爆発は、前述した自分の内にある冷めた性質に抗うための行動だったのかなあ、と急に気付いた。

その瞬間のふしぎな感覚を、死ぬまでずっと忘れないと思う。ほんとうに肩が軽くなって、足は震えて、自分の身体から何かがいなくなったような気がした。「祓われる」ってこういうことなのかね。もちろん、わかんないけど。

それ以来、妙にポジティブである。

ここからまとりのない話

と、ここまでは自分の中で筋道を立てて話せるくらいに腑に落ちているのだけれど、ここから先はふわっとした話になる。アルコールも入っている。

妙にポジティブになったとき、なぜか「数年前のことを振り返るべき」と思った。2011年の、シェアハウスでの生活から解散まで、その後の都内でのひとり暮らし期間、実家に戻ってすぐの頃にやっていたこと。

実家に戻って2年くらいで、ひょんなことから小・中学校時代の同級生と再び交流を持つようになった。それはとても新鮮なことで、お互い歳をとったからこそ話せるもたくさんある。ありがたいし、めっちゃ楽しい。まったく関わりのない時間が長かったから、余計に話は盛り上がるし、尽きない。だから僕は、そこでは自分のインターネットでの活動については一切触れないことにした(ひとりだけ、僕のツイッターアカウントを知っている人はいるんだけど)。

賢い選択だった。インターネットに関するいろいろについて話すにはコンテクストの共有が必要で、たぶん彼らとそれをするのはなかなか難しい。できないとは言い切れないけど、飲み会でそんなことをしようとしたら、すぐタイムオーバーになる。それはどんな人生を選択したかというだけの話で、全然別の、彼らとじゃないと話せないこともたくさんあるから、悪いことではない。なんだけれど、僕がいま僕であることとインターネットは(それってどうなのかなあとか思っちゃうところもあるけれど)どうしようもなく不可分で、そこを隠したままでいるのはどこかストレスだったのかな、と思う。

そういえば、いま思い出したんだけど、前述の、@osicoman を知っている友だちに、ずいぶん前に一度、相談したことがあった。インターネットでの活動のことを言わないでいることにちょっと罪悪感がある、と。そのときの返事は「考えすぎっしょ!関係ないっしょ!」的な内容だったと思う。それに救われもしたんだけどね。むずかしいね。

話を戻すと、たぶんストレスへの対処として、インターネットを通じて楽しくやっていた頃のことをあんまり振り返らないようになっていった。それは「今」楽しくやっていくためには必要なんだろうけど、振り返らないことににした数年間に自分が積み上げてきたものを経て今の自分がいるわけで、それらを全面的に無視するのは不健康だったんだ。

これにて終了

というようなことを、最近はずっと考えていた。全然正しくないかも知れないし、きっちり筋が通ってるわけでもないし、明日にはこんなの全然ちがうわって削除したくなるかも知れないけど、記録として残しておきたい。気分!

うれしいおまけ

自分の好きなもののうちのいくつかについて気付いたことがある。

例えば、『シャーマンキング』というマンガがある。この作品には「大事なことは自分の心で決める」というテーゼがあって、それを代弁してくれる麻倉葉というキャラが特に好きなのだけれど、それはなんでも俯瞰してしまう自分とは真逆の存在に見えたからなのかなあ、とか。GRAPEVINE の『風待ち』という曲の歌詞、「まわりが思うほどじつはそんな器用じゃない」「あれ?いつの間にこんなに疲れたのかなあ」って完全に地元の友だちと遊んだあとにちょっと感じるやつじゃん、とか。


GRAPEVINE - 風待ち

こういう、後から振り返ったときにバシっとハマる答えが見つかるのはうれしい。その瞬間に明確な答えを持たずとも気に入ることができた自分の感性を誇らしく思えるし、なによりもそういう作品を生み出してくれた人たちに素直に感謝できる。ありがてえ、ありがてえ…!

積み上げてきた重みってやつについて

ワールドトリガー』を読み返した。この作品にはよく生きるために大切なことがこれでもかというほど詰まっていて、読むたびに僕に示唆を与えてくれる。登場人物の発言はいちいち正しく、そのとき引っかかっていることを的確に指摘してくる。基本はただおもしろいだけのよくできた少年漫画なのに。いったいどうなっているんだ。

ということで、グッときたのが冒頭のツイートに添付された画像のセリフ。

「積み上げてきた重み」には2種類あるように思う。意識的に積み上げようとしてきた重みと、自然に積み上がってしまった重みと。最近は後者に興味がある。それは自分自身への諦めに起因している気もするが、それは本題ではない。

では何が言いたいんだ、というところで頭がパンクしそうになってきたので終わります。何も言ってなくてすいません。続きます。

ブログについて・完結編

osicoman.hatenablog.com

osicoman.hatenablog.com

これらの記事を投稿するに際し懸念していたことがあって、それは「こんなことを書いたら逆に更新しづらくなりそう…」ということで、見事にそうなった。

だいたいさあ、テーマをひとつになんか絞れるわけないんだよ、生きていたら気になることなんて無数にあるし、できるなら全部拾いたいじゃん、というのがここ数日考え続けて出た結論。

前回の「続・ブログについて」というエントリーは、「ディスプレイに向かってキーボードを叩いている」ときだけ何かについて考える、みたいに読めるんだけど、それは違って、思考自体は常にしていて、ある程度まとまったらその都度出力する、というのがより自分の求めているものに近い。

僕は「研究」という行為に憧れがあって、自分なりの方法論でそれを実践したい、ということなんだと思う。何かひとつテーマを決めて、今回は「ブログ更新」だけど、それについてできるだけ突き詰めていく。

言葉を費やすことで余計なものが削ぎ落とされていって、その本質が顕になっていく。丸太から仏像を彫り出すイメージ。ってそれはかっこよすぎるな。

ということで、ひとまずブログについての話は終わりです。ありがとうございました。