2018年12月31日
恋人(これを入力している時点ではもうちがうけど)と別れた。
続きを読むしないと決めていることについて
- Tシャツを買わない
- たまには買ってもいい
- 自分を卑下しない
- 誰もが誰かのモブであり、同時に欠かせないキャラでもある
- えらそうなことを言わない
- ズシがウイングさんに「いつから人にものを教えられるようになったんですか?」的なことを言われていたのをずっと覚えている
- ただし自分なりの知見はできる限り提供したい(求められれば)
- 無理はしない
- 何度も言うが、おれは麻倉葉が好き
- 凝り固まらない
- 翌日、ちがうことを言ってもいい
- 友だち自慢をしない
- むやみに SNS に投稿しない
- 人脈を誇っているように見えたら終わり
- 悲観しない
- 「考える」ことと「悩む」ことはちがうそうですよ
- 上に挙げたようなことをしている人を目にしても咎めない
- 人格と行為とを区別する
- 好きなように生きよう
余談
箇条書きの途中に「続きを読む」を挿入しようとすると html の構造がイケてない感じになることに気付いた。でも、あんまり一般的でないケースだと思うのでまあいっかという気持ち。そもそも、おれはどうせ箇条書きにもすぐ飽きるし…。 - 完
日記について
- ノートに書いた日記を Twitter に投稿し 1 ヶ月ごとにモーメントにまとめる、というのを 7 月から続けているが、今もうかなり飽きている。続けるうちに何かが見えてくるタイプの習慣とそうでないタイプの習慣が世の中にあるとしたら、これは何も見えてこない方のやつだと思う。べつに、一概にそれが悪いこととは言えないんだけど(めんどくさいな)。
- というか、いちいちそういうことを考えてしまうのは本当にくだらないな。生産性のないものを愛せや。
- さておき、日記を書くたび、「書かなかったこと」が発生する。それを悲しいことだと思っていたが、何も書かなかったらそれこそ何もなかったことになってしまう。何か言葉を残しておけば、書かれていないことを思い出すきっかけにはなりうる。
- とにかく、何かを思い出すトリガーは多いほうがいいなと思う。日付だけだとちょっと心もとない。
- もちろん、これは私がいろんなことをなるべく忘れたくないと考えている故の結論であって、そうでない人にとってはまたちがうだろう。
- そもそも、そういうことを意識して書いているわけではないが。
- でも、これらの考えはインターネットへ公開する前提の日記に対してのもので、誰にも見せる予定のないプライベートな日記だとまったく事情は異なるのでしょうな。
- ただ、おれはそれだと絶対に続かないので…。
- なにが言いたいのかわからなくなった(常にそうでもある)。まあ日記だからな、言いたいこととかなくてもいいのだ。
ブログタイトルについて
ブログのタイトルを「やさしい力はどこにある」に変えたい
— おしこまん△ (@osicoman) October 29, 2018
検索エンジンのことなんて考えるだけ無駄だし、好きなように変えたらいいよね。
「やさしい力はどこにある」は、GRAPEVINE の曲の歌詞です。
続きを読む最近のおれについて(2018年10月23日版)
「〜について」というタイトルで 1 記事につきひとつのトピックについて書く、というルールを課していたけれど、そう思い通りにはいかない。
9月後半あたりからのできごとやら思っていることやらを取り留めもなく綴っていくぞ。「ルールを決めて、ときどき破る」というの、マジで自分にとって一生有用な考え方だなって思う。ありがとうグルービジョンズ。
現状を確認することで自分の立ち位置を把握し、そこからさらなる飛躍を目指す。今はこうする必要があっただけのこと。じぶんで決めたルールを平気な顔して破るのはいかがなものか、という意見もございましょうが、とかく過剰なまでに一貫性を求められる現代社会において、おれはコロコロ意見を変えていきたいんだよ。変化はし得。知らんけど。知らんけどは照れ隠し。はい。
続きを読む占いについて
占い、どうですか?
公言するとたまに友人に煽られたりもするけど、私はけっこう好きです。
おしこまんガチスピ?
— 𝙪𝙬𝙝𝙬𝙟𝙥 (@uwhwjp) 2018年10月8日
自分もたぶん、もともとはとっちこと彼と同じように考える側の人間だったけど、それはきちんと正しいことを知らなかったからなんだな、と今は思う。フィクションの世界でよく見る、フードをかぶって水晶に手をかざして「見える、見えるぞ…」みたいな振る舞いを目の前でやられたらそれは秒で NG だけど、意外とそういう人はいないし、ちゃんとした占い師の人と話すと、誠実に応えてくれる。簡単に進むべき道を指し示したり、いたずらに不安を煽ったりしない。
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