あっ この感じは覚えていたい

いま読むべき唯一のブログ

光について

35 歳になった。

この 1 年を振り返ろうと思ったが、どうにも興が乗らない。過ぎたことにあまり関心がない(それが自分のことならなおさら)ので、まあいいかって感じ。

おれは未だに自分が何をしたいのかわかっていないし、人生において「成し遂げた」と思えるようなものも持っていない。が、べつにそれでいいと素直に思えるようになった。10 年前、5 年前、いや、おととしくらいまでは漠然と何者かになりたい気持ちがあったけど、今はかなりどうでもいい。そこには少し、諦めも含まれているだろうか。でも、けっこう本気でそういう感じで、そのおかげで、最近はなんとなく調子がいい。その呪縛から解放されるのに 10 年以上かかったとも言えるけど。

少し前に、人生の転機を「乗るべき電車」と表現したブログ記事が話題になっていた。おもしろい例えだな、と思ったのでちょいと拝借。

乗るべき電車なんてものが自分にもあるとして、果たしてそれはなんだったのか。乗り遅れてしまったのかも知れないし、ハチャメチャに遅延していてまだ来ていないのかも知れない。ちがうホームで待っているのかも知れない。もう来ない、という可能性もかなりある。なんならこれがいちばん有力な仮説ではないか。何もわからないが、まだ乗れていないことだけは確実だろう。荷造りもできていない。どんなものを用意すればいいのかもわからない。

ただ、不思議と焦りはなくて、っていうか別に電車に乗れなくても徒歩で全然いいじゃん、というのが偽らざる今の気分。だいたい、今さら焦ったってしょうがないし。ちょっとでも疲れたらすぐ休憩して、おもしろそうなものを見つけたら寄り道して、もし目的地にたどり着くまでに力尽きたとしても、まあそれはそれで。

このままいくと世間からは「イタいやつ」と評価されるかも知れない。もう片足を突っ込んでいて、膝あたりまで浸かっているような自覚もなくはない。5 年後、やべー 40 おじさんが爆誕しているかも。でも、もはやそういうのもなんだって構わないんだよな。どうでもいい他人の評価も、あるのかないのかわからん世間の空気も関係なくて、じぶんが楽しくやれて、信頼できる友達がいたら、ほとんどのことはオーケーでしょ。

ぼちぼち人生の折り返し地点だ、みたいな気持ちは微塵もなくて、やっと始まるような気がしている。遅い? いやいや、全然そんなことないよ。みんな、進む(べき)方向もそのスピードもちがうんだから。

せっかくの誕生日なんだし、なんかもっとこう、決意表明みたいなことをしたかったけど、むずかしい。なにもないけど、妙に晴れやかな気持ちなんだよ、ということが少しでも伝われば幸いです。

今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

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