あっ この感じは覚えていたい

いま読むべき唯一のブログ

思いやりについて

Trickle というサービスに登録してみた。

blog.h13i32maru.jp

作られたきっかけがすごく興味深い。

詳しくはリンク先のエントリーを読んでほしいのだけれど、気になったのは「ツイッターでフォローしている人の、例えば技術的なつぶやきは読みたいけど、雑談や愚痴には興味ない」という動機。

というのも、自分はツイッターを使っていてそういうことを思ったことがあんまりない。自分がそういう嗜好だからという話でしかないんだけど、おれはむしろそういうつぶやきを読みたい。めちゃくちゃかっこいいものを作る人が心底どうでもいいことに一喜一憂してたりするのを見て、人間っていいな、みたいな妙に博愛的な気持ちになる。なりたい。微笑みの爆弾で言うところの、「メチャメチャきびしい人たちがふいに見せた優しさ」。そういう類のものをこそ愛おしく思う。

Trickle の作者の方のような、情報収集ツールとしてのツイッターというのもよくわかるし、否定するつもりはまったくない。逆に、おれはアイコンの向こうの「人」を意識しすぎているんだと思う。でも、どうしても割り切ることができない。

2 年ほど前だろうか、有名なデザイナー(どう呼べばいいのかわからないのでざっくりとしたやつにしてます)の方が「人生の攻略法」と題したチャートを公開していた。そこに示されたルートがびっくりするくらい薄っぺらく見えて、人間の人生をこんな風に簡略化されてたまるかよ、と悲しい気持ちになった。あの人にはこの世界はどんな風に見えているのか。賛同する声の多さにも戸惑った。この話は前にもした気がする。本当にイヤだったんだろうな。

なにかしらの枠組みからこぼれ落ちてしまった人のことや、それぞれが抱えている止むを得ない事情への配慮のなさを目にするたび、少しずつ心が削られていく。やれ現金を使っているやつは頭がおかしいとか、やれいまだに有線のイヤホンを使ってる人なんなのとか、どこまで本気で言っているのかわからないけど、冗談だとしてもどうしてそんな風に思える(言える)のか、さっぱりわからない。まあ、こんな程度ならかわいいことだし全然いいんだけど、今この社会を覆っている不寛容さがそんなことにまで派生してしまったのかと考えると、その根深さには絶望しかない。同じようなヘイトが明日には自分に向けられるかも、とおれは想像してしまう。

とは言え、そういう主張はいかがなものかと思うけど、主張をする人自体を嫌いにはならないようにしたい。それで切り捨ててしまう側の人間にはなりたくない。

またもやなにが言いたいのかわからなくなってしまったな…。こんな話題のきっかけにしてしまったことを申し訳なく感じてるけど、Trickle は楽しく使ってる。いいサービスだと思います。もうちょっと続けてみるつもり。

そんじゃーね。

(70 分くらい、約 1500 字。かかった時間と文字数を最後に書くの、先にやってた人がやらなくなってて少しさみしい)