あっ この感じは覚えていたい

いま読むべき唯一のブログ

わからせてやろう

4月13日(月)

朝からひどい雨、まったくやる気が出ない。それは雨のせいなのかわからないが……。

色違いイーブイが孵化してうれしい。ニンフィアに進化させた。

今日のジャンプは全体的に盛り上がりに欠ける号だった印象。そういう時ってあるよね、っていうか、たぶんゴールデンウィークの合併号に照準を合わせているんだろう。ジャン談もピリッとしなかったな。まあしゃーなし。咳はいつまで続くのか…。

4月14日(火)

晴れ。

社会的に何か大きなトピックが発生するとうんざりしつつも心のどこかでちょっとわくわくもしてしまうんだけど、一周してまたうんざりに戻ってきたので iPhone からツイッタークライアントを削除。一生繰り返してるムーブ。

ツイッターを見ていてしんどいなと感じるのは、いつまで経っても前提条件が共有・更新されていないのを目の当たりにした時。またそこから話さないといけないのか、もうその話は n 年前に結論が出てるでしょ、みたいなことが多すぎる。議論の流れもどこかで見たようなものばかり。いや、積み重ねのない口論を議論と呼んではいけないけれど。

具体的にうんざりした事例。最新の世論調査自民党の支持率が 40% だったことに対する「どこにそんなに支持者がいるの?」というリアクション。何週遅れだよ、まず自分の見識の狭さを嘆いてくれよ。その仕草に何の意味もないのはこの 10 年のうちに何度もわからされてきたでしょう。

ところで、対戦カードゲームなどで、プレイヤーの実力の違いを見せつける・相手より強いカードやキャラクターを使う、などの意味で「わからせる」という言い方をすることがある。実際の運用では「わからされる」「わからされた」などと、相手にやられる時に使うことが多い気がする。このブログは、わからせてやろうと思って書いている。冗談ですよ。

賢そうに振る舞う人たちには見えていないもののことを考えると、「分断」なんてとっくに発生しているじゃんという気持ちになる。この言葉自体、それぞれの文脈でいいように使われすぎている印象で、具体的にどんなことを言っているのか全然わからないのだが……。わたしはいつだってそっちに転がりうるなと思って生きているので、そのまま見ようとするつもりがないのならめちゃくちゃ暴れるぞ、みたいな気持ちになる。自分が今、できるだけ正しくあろうと思えているのは奇跡的なことで、ちょっとしたきっかけでどうにかなってしまうと思っているし、それは同時に希望でもある。

イエスタデイをうたって』『波よ聞いてくれ』を観た。シャドバのアニメは「勝った方が負けた人のスマホを奪っていい」ルールが意味不明すぎて無理だった。

4月15日(水)

晴れ。世間や自分の憂鬱な空気の中、天候だけが救いである。

やるぞやるぞやるぞ、という気持ちがついに結実、ランニング。ナイキのアプリによると2019年2月以来、約14ヶ月ぶりのランニング。江戸川区に住んでいた 2013 年頃はばっちり習慣化できていて、週 3 回くらいの頻度で 5km 走っていた。たま〜に気が乗った時は 10km。今の自分からは想像もできない。道が広くて、いい感じだったな。誤解を恐れずにいうと、埼玉感がある。実際、川のすぐ向こうは市川市だったはず。実際?

14ヶ月前に続かなかったのは 5km 走るのに時間がかかりすぎたからという仮説を立て、距離にかかわらず 30 分で終えることにした。わたしに 1km を 6 分以内に走ることはできないので……。やってみると、時間で区切られていると「あと少しで解放されるからちょっとペースを上げよう」という選択ができてよかった。シャワーも含めて 1 時間程度と考えれば無理なく続けられそうである。続けたい。

4月16日(木)

絶対に 10 万円ほしい!

ツイッターの非公開リストに追加している近所の推しラーメン屋が先月から全然ツイートしてないことには少し前から気付いていた。今日、なんだか嫌な予感がして確認したら、その id のアカウントはあるんだけど、別の人になっている…? 嫌な予感がする。

解説記事を見て良さそうに思い仕込んだバルジーナがけっこう活躍してくれてごきげんになったが、一向にハイパーボール級を抜け出せない。

4月17日(金)

日記を書く習慣ができると生活の解像度が上がる、というような話を見て深く納得。一方で、日記は書かなかったことをなかったことにしてしまう暴力性も併せ持っていると思う。

自分はどうかというと、こんな最悪な日々を事細かに記録なんてしたら気が狂ってしまうぜ、というモードである。今週ずっと、アホのようにポケモンをやり続けているのも、今週の日記を今日まとめて書いているのも、この状況に対する自分なりの抵抗のかたち、かも知れない。

嫌な予感のしたラーメン屋、今日行ってみたら居抜きで別のラーメン屋になっていてショック。でもまあ、しょうがないね。なんとなく、どこかでまた店を始めるような気がする。

ポケモン、自分の育てたポケモンではにっちもさっちもいかなくなり、シーズン 4 で結果を残した方の構築記事を参考にレンタルパーティーで挑戦してみたらサクッとマスターボール級に上がれて感謝。

肩の荷が下りたのでスイッチ版もじぴったんを購入。20年前と変わらぬ伝統の味。サクッと楽しむのにちょうど良い。

4月18日(土)

昨夜遅くから激しい雨が続く。予報によると今春いちばんの春の嵐になるとのこと。

よりによってこんな日に…と思いながらも、予約していた歯科へ。新型コロナウイルス感染症についての問診票に「ちょっと咳が出る」と回答したら、治療はせずにまた今度ね、ということに。そりゃそうだよな、と納得。不快感などはなし。次回はゴールデンウィーク明けに行く。

石崎さんの note の記事。

note.com

いままで販売していたカフェラテ1杯500円の中には、ソファに座って本を読める居心地や、カウンターでスタッフとおしゃべりする時間が含まれていたのに、それを未来では保証できない。そういった後ろめたさがあったというわけです。

「支援」というかたちですぐに使えないサービスを販売することについて、提供する側のこんなに誠実な発信を見たことがない。胸を打たれた。

2020 年 4 月現在、クラウドファンディングによる支援は当然に良いものとして世間に受け入れられているように見える。いや、わたしだって別によいと思うし、批判するつもりはない。でも、以前の日記にも書いたけど、どこか素直に乗り切れない気持ちも個人的にはある。だから、安易に流れに乗っかるだけでなく、自分たちがやるべきかをきちんと検討する姿勢はかっこいいし、ちゃんとそれをやってくれる人たちがいることに安堵もした。裏を返せば、これまでに自分たちが提供してきた価値に自信があるからこそできるんだろうな。そこまで含めて最高ね。

夕方になって晴れてきた。部屋干し覚悟で洗濯を済ませた後だったのでうれしい。色違いワシボンがほしくて 5 番道路をうろうろすること 5 時間。ようやく孵化したけど夢特性ではなかったのでやり直し。きびし〜。

夜、恋人と zoom でビデオ通話。お絵描き機能で盛り上がる。「絵チャット」ってこういう感じなのかな、と思った。

もじぴったんポケモンより勝てて精神衛生に良い。プレイヤーが少ないのか、同じ人と繰り返しマッチングするのはご愛嬌。そうそう、対人戦はなるべく単語が続かないようパネルを置くのが大事なんだよね、一人プレイとは逆で。

4月19日(日)

晴れ。いい天気すぎて逆に絶望的な気持ちになる。

疲れているつもりはまったくなかったけど昼寝をしてしまう。

一日何もせずに過ごしていたことを反省し(ゲームはしていた)、手紙の返事を書いたり本を読んだりしようと近所のマ(マクドナルド)に行ったら、店内の飲食は禁止で持ち帰りのみとなっていた。20日の朝から「特定警戒都道府県」にあるすべての店舗について店内にある客席の利用を中止するというニュースを家を出る前に目にして、今夜がラストチャンスと思っていたのに。

仕方がないが、家だとなかなか書きものをする気になれないので、少し窮屈。運のいいことに自分の生活は緊急事態宣言が発出されてもそれ以前と大きく変わってはいないけれど、こういう細かな不満は少しずつ蓄積されているんだろう。気付いていないことの方が多いのかも知れないけど。何かデカいことが起きる時って、往々にして要因のひとつひとつを見てみると取るに足らないものだよね。なぜフレンドリーな口調。各々、気をつけていきましょう。

「家だとなかなか書きものをする気になれない」というのも家にいる時間が増えて気付いたことのひとつ。家以外の場所でインドアな趣味に興じたい、というのがわたしの性質っぽい。書きものも読書もゲームも。

水曜のランニングで発生した太ももの痛みがようやく消滅したので、このあとちょっと走ってこよう。