あっ この感じは覚えていたい

いま読むべき唯一のブログ

藤原基央ばりに大言壮語を吐くならば

2月17日(日)。晴れ。

前日までのあらすじ。高円寺で飲酒してすっかりごきげんになったひろしはうっかり終電を逃し、ワンデルングにひとまず退避。うまいうまいと京都みやげの八つ橋をいただいたあと、深夜の呼び出しに快く応じてくれた友人とカラオケに。始発まではあと約4時間。一体、何が起こるのか…!

歌詞を真剣に読むことを強制されるのがカラオケのよいところ。歌わないといけないから、どうしたって向き合わざるを得ない。歌われることを前提にした言葉だから、声に出すことで理解が深まることもあると思う。おれは理解を深めたいんだよ。

おれの好きなGRAPEVINE田中和将が、インタビューなどでことあるごとに「歌詞ばっか深読みすんな、ちゃんと曲を聴け」的なことを言っていて、おれは持ち前の素直さで「歌詞に必要以上に執着してしまうのはよくないのか…」と思ってしまっていたんだけど、俳人佐藤文香の中村佳穂の詞についての文章を読んで、それ自体はまったく悪いことではない、要は読みの精度を高めればいいんだなと、心のもやが晴れた。心のもやは晴らし得。

mikiki.tokyo.jp

まあ、歌ってる時にはそんなことは考えないんだけど。

朝5時くらいまで遊んで、家に着いて寝たのがたぶん7時半くらい。朝って電車の接続がよくないよね。完全に自業自得だが。

夕方、よしむらひらくくんのnoteで言及されていて、めちゃくちゃに感極まってしまった。少し泣いた。この日、たしかに帰り際にすれ違って少し話したんだけど、時間にしたらたぶん長くても3分くらいのできごとでしかなかったから。もしかしたらちょっとは触れられるかなと思ってはいたけど、こんなにも言葉を費やしてもらえるなんて全然想定してなかったよ。生きてたらいいことがある。ありがたすぎて4回読んだ。

note.mu

細かく引用してここで応答するのはあんまりかっこよくないと思うんだけど、ひとつだけ。

フォーマットとして表現者だという見られ方を敢えて避けるようにしながら

これはまさに自分でもどうしたもんかなと思っているところで、kygことニシーさんに言われたことでもあるし、なんというか、その洞察力に感嘆するばかりである。藤原基央ばりに大言壮語を吐くならば、自分も同じ土俵に踏み出して、ずっと表現活動を続ける友だちと肩を並べたいという気持ちがある。やれんのか2019。