あっ この感じは覚えていたい

いま読むべき唯一のブログ

12月4日(日)

池袋で『この世界の片隅に』を観た。ものすごくよかった。終わったあと、街を歩いているときにふと「自分が今こうして歩くことができるのは当たり前のことではないんだな…」などと考えてしまう感じ。今年いちばんよかった映画だ。まあ、他に映画館で観たのは『ズートピア』と『シン・ゴジラ』だけなんだけど。

12月1日(木)

「ついたち」というのは気分を新たにするには都合のいい日なので、身の回りのことを整理した。具体的には、ちょっとした目標を立てたり、そのために必要な Web サービスなどを検討したり、万年筆のインクを替えてみたり。月が変わったからというよりは、来年のための助走というイメージ。より高く遠くへ跳ぶための準備。やらないよりはやった方がいいのだ。

11月17日(木)

この2週間くらい、いくつかの締切が重なって、すっかり生活のリズムが狂ってしまった。17時を過ぎても「よっしゃ〜、今日まだあと8時間くらい作業できるぞ」みたいな気持ちになってしまってよくない。さばいていくスキルが足りてない。甘えもある。それはさておき、夜遅いほうが捗るのは間違いなくて、過剰な早起き礼賛に屈したくない。まあ、もういい歳なので、それぞれによさがあることは知っていて、うまく使い分けていきたい。

そう、自分はもういい歳なのだ。ちょうどあと1ヶ月で33になる。大学出たての頃とかはたぶん漠然と、28で結婚して、30で子どもができて、家を買って…なんてことを思っていた。でもそれは計画でもなんでもない借り物のイメージで、現状、全然そんな風にはなってない。独身・実家暮らしというのが現在のステータスで、めちゃくちゃ稼いでるわけでも、バリバリ働いているというわけでもない。でも別に全然気にしてないし、いつからだろう、気付いたら年齢に起因する焦りというのが、自分からほとんど消えていた(まあ、ただの諦めかも知れないけれど)。

だいたい、若い/若くないという評価が相対的なものでしかない。30過ぎたらもう若くない、という考え方がある一方で、例えば明日もし自分が死んだら、絶対にみんな「まだ若いのに」って言うだろう。葬式のときは、60くらいまでは「まだ若い」扱いになる気がする。所詮その程度のふわっとした概念に振り回されたり、誰かが勝手に用意したモノサシのひとつでしかない数字に一喜一憂するのは本当に意味がない。

世間のイメージというものがあるならそれは自分には1ミリも関係のないことだし、個人的な思い込みだったら多少無理をしてでも捨てないといけない。実際に言ってくる隣人は殴る。そして、死なないで、生き続けて、いくつになっても自由にやりたいことをやる。やっていくしかない、とまでは言えないし、それぞれ好きなようにすればいいと思うけど、自分はやっていく方を選んでいきたい。例えば、ついに明日リリースされる新作ゲームとかをね。

11月1日(火)

午後、打ち合わせのために東京に出る。ということで、iPhone 7 の Suica で改札を通り抜けてみる。Apple Watch で試したことはあったけど、やっぱり iPhone の方がやりやすい。ウォッチだと手首をひっくり返さないといけなくて、それは普段の生活にはない動きなのでなかなか慣れない。うまく距離がはかれず、別にいいんだけど、ウォッチが改札の Suica 読み取り面にぶつかってしまう。iPhone ならカードと同じ感覚なのでそんなミスもなくスムーズ。持ち物がひとつ減るのはすごいことだ。

10月が終わったので、少し振り返ってみる。紙の osicomagazine リリースは自分にとってとても大きなできごとだった。今となってはああすればよかった/こうすればよかったというのはアホほど浮かぶし、単純なミスもたくさんあった。けれども、自分にとっては全然そんなの気にならないくらい得るものがあって、大げさにいうと、これまでの自分の人生をすべて肯定できたような気がした。まあ、普段から割とそういう感じで生きてるんだけど。トーニャハーディングからのブログでのアンサーもめちゃくちゃアツくて、本当にありがたい。お互いの個人的なことなので第三者がどう思うかはわからないけれど、「距離感」というのは絶妙なタイトルだ。感服。

harding.jp

今月は紙の osicomagazine によって停滞していた他のことをグイグイ進めていきたい。締切があるのは幸せなことだ、と言い聞かせてやっていく。全然大丈夫。

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10月29日(土)

休みの方が早く目がさめる。

朝、テキパキとソフトバンクに電話して MNP 予約番号を発行し、アップルのウェブサイトから iPhone 7 のピックアップ予約を済ませ、ビックカメラで SIM を焼いてもらい、アップルストアに行って支払いを済ませ、移行作業を始めて手持ち無沙汰になったときに撮ったのが以下の画像である。

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もともと、今度こそ MVNO にしようとは考えていた。いわゆる2年縛りが消滅して自由に解約できる期間はメモしてあったし、MVNO 業者の目星もあらかじめ3つくらいつけておいた。だからまったくの無計画という訳ではなかったのが、今日やるぞ、というのは朝になんとなく決めたことだ。腰が重い自覚と変なところはフットワークが軽い自覚とが同時にあるんだけど、これに関してはうまいことよい感じに落ち着いてよかった。

結局、アップルストアには2時間もいてしまった。夕方、渋谷を出る頃には、昼間いなかったコスプレ人間たちがいて、ハロウィーンなことに気付く。日が沈むのに合わせて異形の者たちが集まってくるのはちょっとリアリティーがあると思った。

10月23日(日)

朝、西川口に降り立つ。どうしてもほしくなって、絶対に早々に完売することはないだろうなと思いながらバスに乗ってSKIPシティへ行き、「あそぶ!ゲーム展 ステージ1:デジタルゲームの夜明け」のカタログを購入。展示自体は2月に終わっていて、今は「ステージ2」をやっている。「ステージ2」のカタログは現在制作中らしい。この後に予定があったので展示はスルーし、たまたまやっていたヒーローショーみたいな催しの人ごみをかき分け脱出。急いで次の目的地、成増へ。

友人の飯沢さん永田くんと合流し、2014年の閉店から早2年、高田馬場から移転しきた中華そばの名店「べんてん」へ。着いた時点で20人強並んでいたが、3人もいればそれほど苦にはならない。12時50分くらいに並び始めて、入店までは1時間ほど。並んでる間、ここには書けないような話をたくさん聞く。

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2年ぶりに食べた中華そば。はあ…好き……。

べんてん、店内がすごく静かだった。ほとんどが一人客だったからというのもあるとは思うけど。小学生くらいの男の子も大人しくしていたのが印象的。空気を読んだのか。店内にはラジオや有線などの BGM もない。ふたりいたスタッフはどこかのウェブの情報によると親子だそうで、そのおかげかほとんど会話がなく、また手際がすこぶるよいので変に食器がぶつかる音なども聞こえない。時折ドンブリを洗う音が聞こえる程度。皆が静かにラーメンを待つ様子を飯沢さんが「修道院みたい」と言っていた。

ただ、店側がこのような雰囲気を強制しているわけではないと思う。お店の方には全然ピリピリした雰囲気はなく、誠実な仕事をしているな、という印象しかない。また行くぞ。

そのあとは池袋に移動し、ファミレスでゲーム(電子でない)で遊んだりポケモンセンターを冷やかしたり公園で缶ビールを煽ったりして解散。昼間は暑かったのに、夜の公園は冷える。Apple Watch には日の出/日の入り時刻を常に表示しておけるんだけど、それによるともう日の入り時間は16時台だ。もうちょっと秋でいてほしい、というような個人的な願いが届くことはなく、季節は淡々と巡る。つってね。

10月21日(金)

風呂場のリフォームが始まった。数年前にはリビングをいじった。これから家のいろいろなところにガタがきて、というか築年数もそれなりだっと思うし、もうきているガタが表面化しだして、その度に少しずついろんなところを直していくことになるんだと思う。延命措置。現在この家の所有者である親が死んだら、この家には誰が住んで誰が管理するんだろう。

夜はコミティアのために上京してきた『島根の至宝』こと明日さんと飲みにいく。彼とは週刊少年ジャンプについて話すポッドキャストを1年弱続けていて、収録のために毎週1〜2時間は定期的に話している。2016年いちばん多く会話した相手かも知れない。のだけれど、実際に会うのはこの夜が2度目だった。初めて会ったのはたしか3年くらい前で、そのときは「あっ、どうも」「どうも」くらいしか話していないので、ちゃんと実際の姿を認識したのは初めてと言ってもいい。アイコンが実体を持った。不思議な関係だと思う。

ちなみに、彼を一言で表現すると以下のような男だ。

つってね。

TOKYO CULTURE STORY が完全に無理


TOKYO CULTURE STORY|今夜はブギー・バック(smooth rap) in 40 YEARS OF TOKYO FASHION & MUSIC|presented by BEAMS

例えば、最近の渋谷系バイバルブームは当時渋谷系に夢中だった人がそれぞれのメディアの中で力を持ってきただけ、という話を度々耳にする。これはその最たるもので、それ以上でも以下でもない。

この動画の狙い自体はイヤというほど伝わってきて、すごい精度で達成できているように見える(だからこそイラっとする)。ただ、きっちり作り込まれているぶん余白がなくて、観ていると、ここで取り上げられている以外のものは一切存在しなかった、という印象ばかりが強くなる。最後まで観て、なんでこんな傲慢なことができるんだろう…と思った。古代中国では滅ぼした国の歴史書などは処分してなかったことにするのが通例だった、という話を思い出した。今まさに同じことが起きているのかも知れない。言い過ぎであってほしい。

それから、ミュージシャンのチョイスがかなり厳しい。すでにある程度評価が決まっているであろう90年代までは「正解」のようにも見えるけど、2000年代に入ったあたりから急に「単に担当者の好きなミュージシャンを呼んだだけじゃないの」という感じになる。ナカコーとフルカワミキにまずちょっと違和感があるし、この文脈で初音ミクが出てくるのはとってつけた感しかない。よその手柄を何でもかんでも自分たちのものにするんじゃないよ。チームしゃちほこには「本当はももクロに出てほしかったのかな」と邪推してしまい、最後の YONCE で盛大に腰をぬかす。ちょっと、さすがにそれは…安易すぎでは?00年代以降はまだ総括されていない(あるいは、そんなことができないくらい分断されているのなも)と私は思っている。だから、自分たちの考えた歴史を提示するためにどんなミュージシャンを選ぶのか、というのはこの動画ですごく重要なこと。それなのにこんなおざなりでなんの主張も見えてこないものでいいんだろうか。少なくともおもしろくはない。もちろん、個々のミュージシャンについては何もないです。

全体を貫く音楽が「今夜はブギー・バック」というのも納得いかない。ファッションには疎いので間違っているかも知れないけど、ここで取り上げられている先鋭的なファッションを楽しんでいた人たちは当時「今夜はブギー・バック」を聴いていない気がする。ここにはなんの批評性もなくて、「どうせみんな好きでしょ」くらいの理由で雑に選ばれたようにしか思えない。

結論としてはタイトルの通りで、全然よくなかった。むしろ、自分がこれまで生きてきて、その過程で好きになったものがあんまり出てこなくてよかったな、と思ってしまった。とか言いつつブギー・バックは大好きなので、だからよけいに残念。

以上、埼玉からお届けしました。

10月20日(木)

暑い。もう10月も下旬だというのに最高気温は28度だとか。異常気象、とまでは言わないけど、今年の秋はいつもの気候とは少しちがうようだ。9月なんてほとんど雨かくもりだったし…。

だるいな〜、あ〜これはだるい、絶対にやりたくない、と思いながら部屋の片付け。片付けと言っても大抵は物の移動で終わってしまうので、まあそれはそれで大事なことだけど、今回は意を決して読まない本をブックオフに。もともとブックオフは「捨てるよりはちょっとでも金になればいいか」程度の認識なのでそこまで期待していくわけではないんだけど、俺の大好きな長嶋有の単行本の買取価格が5円だったのには笑ってしまった。ブックオフの客層に合わせた価格なんだとは思うけど。山崎ナオコーラは20円だったかな。うーむ。万が一、検索からご本人がこれを読んでしまったら申し訳ないな、と思いつつ。あと、技術書は(ブックオフ的には)意外と高く売れるんだな、という発見があった。結局ろくに習得しないまま swift のバージョンが 3 になってしまった。気合いが足りないんだ。

でも、一方で本をためこむ習慣は改めた方がいいな〜、とも思った。キリがない。読み終えたらサクッと何らかの手段で処分するよう心がけたい。ちゃんとした古書店などが近所にあればいいんだけど。都内まで出るとなると、買取価格はブックオフより高くなるだろうけど往復の交通費で相殺される、たぶん。それを差し引いても、その本の今後のことを考えるとブックオフよりはよいのかも知れないが。

23時。コードネーム「NX」こと NINTENDO SWITCH が発表された。 www.nintendo.co.jp

こんなの絶対に買うに決まってるじゃん。据え置き/携帯なんて区別はもうなくなるんだな。スプラトゥーンの新作を開発中っぽくてめっちゃ楽しみである。発売が近づいて仕様が明らかになるにつれてがっかりしないよう祈る。まあ、どう転んでも買うに決まってるんだけど(2回目)。

安全な妄想

安全な妄想

佐渡の三人

佐渡の三人

可愛い世の中

可愛い世の中

10月17日(月)

昨日のインターネットヤミ市での紙の osicomagazine の販売は、おかげさまで思っていたより多くの人が買ってくれて、かなり満足している。かなりよい体験だった。あんまり悲しいことはなくて、たくさん嬉しい言葉をかけてもらえて、人の温かさを知ることができたのであった。完

完、でもいいんだけどもうちょっと忘れないうちに書いておこう。コミティア文学フリマなどで知らない人のブースで見本誌を読むのに抵抗があった。それは「買ってください!」とか言われたらめんどくさいのと、買う気もない(というかまだわからない)のに見るのもなんか悪い気がする、という理由によるものだったんだけど、いざ販売する側になって思ったのは、そんなの全然イヤじゃないな、ということ。もちろん人によって感じ方・考え方はそれぞれだけど、遠巻きにこっちをちょっと見てすっと通り過ぎていくのがいちばん残念というか悲しいというか寂しくて、それ以外のリアクションはだいたい全部ありがたい。試し読みしてもらえるだけでもうれしいし、それで買わなかったとしても全然イヤな気持ちにはならず、心からありがとうと言える(黒夢にそんな歌詞の曲があったような)。最終的に買ってもらえるのがうれしいってのはもちろんそうなんだけど、例えばどんな意図で作ったのか聞いてくれるだけでも全然ありがたいものなんだなあ、と気付いたのはかなりの収穫。今後は自分もガンガン聞いていきたい。まあ、それであからさまにイヤな顔をされたら「あからさまにイヤな顔をされた」ってツイートするかも知れないけど。

ヤミ市、エネルギーのやりとり、という感じがあって、その反動か、今日はなんだかぼんやりと過ごしてしまった。ジャンプを読んで、ポッドキャストの収録をして、これを打ち込んだら寝るぞ、という状況。いろいろやらないといけないことはあるけど、明日の自分に託す。今週のジャンプの新連載、前号の予告を見たときに想像していたよりおもしろかった。ちゃんと前作からレベルアップしているのが見てとれるというのは、本当にすごいことだ。自分はどうだろうか。できているか。

なんだか頭がとっ散らかっているので、最後にもうひとつ。人生において、進むべき方向を示してくれる・よりどころとなってくれるような、自分より大きな存在を意識できるとちょっと楽になる感覚があるな、というのを最近実感できて、神を信じるってのはつまりそういうことなんだろうけど、どうしても宗教だと最大公約数のようになってしまうところがあって、占いなどのサービスはそういう「神」っぽい存在を自分のためだけにカスタマイズした上で提供してくれるのが良い、というようなことを考えて、それがなんだか妙に引っかかっている。「神」をカスタマイズするなんてことが人間にできるのだろうか。

な〜んかいろんなものにあてられてる感があるな。よくも悪くも。明日はポケモンの話だけしたい。