あっ この感じは覚えていたい

いま読むべき唯一のブログ

10月17日(月)

昨日のインターネットヤミ市での紙の osicomagazine の販売は、おかげさまで思っていたより多くの人が買ってくれて、かなり満足している。かなりよい体験だった。あんまり悲しいことはなくて、たくさん嬉しい言葉をかけてもらえて、人の温かさを知ることができたのであった。完

完、でもいいんだけどもうちょっと忘れないうちに書いておこう。コミティア文学フリマなどで知らない人のブースで見本誌を読むのに抵抗があった。それは「買ってください!」とか言われたらめんどくさいのと、買う気もない(というかまだわからない)のに見るのもなんか悪い気がする、という理由によるものだったんだけど、いざ販売する側になって思ったのは、そんなの全然イヤじゃないな、ということ。もちろん人によって感じ方・考え方はそれぞれだけど、遠巻きにこっちをちょっと見てすっと通り過ぎていくのがいちばん残念というか悲しいというか寂しくて、それ以外のリアクションはだいたい全部ありがたい。試し読みしてもらえるだけでもうれしいし、それで買わなかったとしても全然イヤな気持ちにはならず、心からありがとうと言える(黒夢にそんな歌詞の曲があったような)。最終的に買ってもらえるのがうれしいってのはもちろんそうなんだけど、例えばどんな意図で作ったのか聞いてくれるだけでも全然ありがたいものなんだなあ、と気付いたのはかなりの収穫。今後は自分もガンガン聞いていきたい。まあ、それであからさまにイヤな顔をされたら「あからさまにイヤな顔をされた」ってツイートするかも知れないけど。

ヤミ市、エネルギーのやりとり、という感じがあって、その反動か、今日はなんだかぼんやりと過ごしてしまった。ジャンプを読んで、ポッドキャストの収録をして、これを打ち込んだら寝るぞ、という状況。いろいろやらないといけないことはあるけど、明日の自分に託す。今週のジャンプの新連載、前号の予告を見たときに想像していたよりおもしろかった。ちゃんと前作からレベルアップしているのが見てとれるというのは、本当にすごいことだ。自分はどうだろうか。できているか。

なんだか頭がとっ散らかっているので、最後にもうひとつ。人生において、進むべき方向を示してくれる・よりどころとなってくれるような、自分より大きな存在を意識できるとちょっと楽になる感覚があるな、というのを最近実感できて、神を信じるってのはつまりそういうことなんだろうけど、どうしても宗教だと最大公約数のようになってしまうところがあって、占いなどのサービスはそういう「神」っぽい存在を自分のためだけにカスタマイズした上で提供してくれるのが良い、というようなことを考えて、それがなんだか妙に引っかかっている。「神」をカスタマイズするなんてことが人間にできるのだろうか。

な〜んかいろんなものにあてられてる感があるな。よくも悪くも。明日はポケモンの話だけしたい。