隙あらばセルフボースト
4 月 21 日(日)。晴れときどき曇り。
すっかりぼくの生活に溶け込んだことでおなじみ(おなじみ?)、西日暮里「屋上」での歌会に参加してきた。
歌の会。歌人が集まって詠んだ歌を披講(ひこう)し批評し合う会。かかい。
短歌をつくることも、歌会に参加することももちろん初めてだったんだけど、めちゃくちゃおもしろかった! きっとめちゃくちゃおもしろいだろうなという予感はあった。歌会に参加したい場合、フォームに名前や連絡先などといっしょに自作の歌を送る必要があり、一方で歌会に観客として参加するだけならただ時間にお店に行けばよい、ということだったんだけど、自分の性格からして、もしただ見てるだけだったら絶対参加したくなる(そして「俺の方がうまい」とか言い出す、実際に声に出さないにしても)のは目に見えているので、がんばってつくった。
歌会の参加者は 8 名(ただしひとり欠席)。それから司会の山階基さん。ぼくのようなほとんど門外漢のような人間の質問にもていねいに答えてくださって、とてもありがたかったです。
山階さんのものも含めた 9 つの短歌が作者は伏せて提示され、参加者は好きな歌をふたつ選んで最初に発表し、全員終わったらひとつずつ順番に感じたことを話していく。自分が選んでいない歌について話してもよい。知ったふりをしてもしょうがないし、というか何も知らないので、少しでも何か思ったら些細なことでも積極的に発言して、己のこういう性質、まじ素晴らしいと思う。隙あらばセルフボースト。
つくったものについて率直な意見を直接もらえる場にいた経験があんまりなかったので、四方八方からいろんな意見が出てくるのが新鮮だった。創作と批評がセットになっているのはおもしろいなあ。自分が特に意識せず選んだちょっとした言葉づかいに着目してもらえたり、自分では思ってもみなかったような情景を語ってもらえるのは不思議な体験で、凡庸な言い方になってしまうけれど、「日本語の奥深さ」を初めて実感できたような気がする。他の参加者の方の意見も自分では考えもしなかったようなことばかりで、自分の鑑賞の浅さを痛感したり。それもまたよい経験なんだけど。受け取り方や思い描くものが人によって異なるのはポップソングの受容のされ方と同じだなと思って、そうか、「短歌」だもんな、と納得。
まだまだ自分の知らない楽しいことはたくさんあるんだな。希望やでほんま。