あっ この感じは覚えていたい

いま読むべき唯一のブログ

ツイート補足 1

33年弱生きてきて最近初めて「リュックを洗う」ということを実践しようと思った。そのためには洗剤が必要だ。それで、近所のドラッグストアでポケモンを探しがてらアクロンを買った。4年以上一度も洗わずにいたリュックだから、みるみる水は濁っていく。その様子を見ながら「よくもまあこんな汚れたリュックを公衆の面前にさらしてしまったなあ」と後悔したり、このリュックを背負って行った街や見た景色を思い出したり。ある時期どこに行くのもそれは自分とともにあって、あらゆるものがそこに放り込まれた。

洗い終えたリュックにありったけの感謝を捧げ、今後の一層のご活躍を祈念しながらアクロンを片付けようと棚の戸を開けたとき、私は気付いた。まだエマールが残っていたことを。

実家に戻ったときは調子に乗って「自分の洗濯物は自分で洗濯しようかな〜」なんてことを考えて買ったものの低い方に流れまくった結果洗濯そのものを自分でしなくなり、それで存在を忘れてしまっていたのだった。

というようなことが上記ツイートの背景にありました。

エマール 洗濯洗剤 液体 おしゃれ着用 リフレッシュグリーンの香り 本体 500ml

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最近のフリースタイルダンジョンについて

「最近のフリースタイルダンジョン、マジで最悪」という内容の長文をしたためていたんだけど、下書きとして保存したら満足してしまった。「その日に起きたイヤなことを日記に書く」ことで精神の安定をはかる、というのはこれか、と思った。個人的にはそれは賛同できなくて、日記には良かったことしか書きたくない。書いて忘れるってことなんだろうけど、書いたら残っちゃうじゃん。書いたそばから捨てる、のがいちばん良さそう。知らんけど。

話を戻すと、とにかくフリースタイルダンジョンについて言いたいのは、チコのカラオケがマジで1ミリも意味ないでしょということ。漢さんぽとか、T-PABLOW が BAD HOP の面々と飲んだりサ上がヤケ酒してる映像は、バラエティに寄りつつもフッドや仲間をレペゼンしているという点でまだヒップホップ的だとも言えるわけで、ギリギリのとこを突いてくるな〜と肯定できたんだけど、カラオケはどう考えてもない。今後チコがバトル相手に「家に帰ってヒトカラしてろ」みたいにディスられないか心配。あるいはこれは僕が知らないだけで何かのサンプリングだったりするんだろうか。

雑誌やウェブの記事なんかをチェックして番組の意図や目指すものも zeebra やモンスター・審査員の皆さんの熱い想いも自分なりに受け止めて応援してたんだけど、それでなんでカラオケになるの?と思うとふつうに悲しいし本当に意味がわからない。

「下書きとして保存したら満足してしまった」はずだったのに結局だいたい書いてしまった。ピース。

ele-king vol.18 (ele-king books)

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ユリイカ 2016年6月号 特集=日本語ラップ

ユリイカ 2016年6月号 特集=日本語ラップ

かんたんに関連づけない

例えばポップカルチャーについて評論するときに他の作品を挙げるというのはよくあることだし、それができるのは積極的にいろんなものを鑑賞したりいろんなことを体験したりしているからで、それ自体はすごいことだ。共通点を見出すのも誰にだってできることではないから、否定する気は全然ない。それに、そういうものは意図する/しないに関わらず時代性を帯びてしまうのだから、何もおかしなことはないのかも知れない。

だけど、いざ自分がそういう文章を読んでいるときにそうやってふたつ以上の一見関係のなさそうな事柄を結びつけているのに出くわすといつも、佐藤雅彦がエッセイ集か何かに書いていた「人間は関係のないことをすぐに関連づけようとする」という話を思い出す。具体的な書名や、例示されていたエピソードをど忘れしてしまったのだけれど。

まあ、もういい歳なので結論は最初からわかりきっていて、的を射たものとそうでないものがあるというだけの話ですね。ありがとうございました。

考えの整頓

考えの整頓

土曜のこと

となりのテーブルに座っていた大人の男女とふたりの幼い子ども。なんとなく、家族としての親密な空気がないような気がした。男性が女性に「こないだストレイト・アウタ・コンプトンを観たんだけどさあ」などと言っているのを聞いた瞬間、ふと閃いた。この人たちは夫婦ではなく、子どもたちもそれぞれもう一人の親は今ここにいない人なんじゃないか。毎日同じ家で暮らしていたら、こんな風に最近見た映画の話をするだろうか。どちらかというと、久しぶりに会った友だちとの会話で出てきそうな言葉だ。もちろん、この想像が当たってるかどうかは分からないし、実際どうであれ良いとも悪いとも思わないし、というかそもそも赤の他人だし。でも、そう考えてしまった瞬間、変に気になって、それぞれの背景についていろんな想像をしてしまった。

関西から遊びに来た友人と散々飲んだ挙句に途中で合流した別の友人宅に泊めてもらい完全に二日酔いで昼までダラダラしたのち梅雨の晴れ間のジメッとした空気の中で強烈な日差しを浴びながら向かったタイ料理店でのできごとだった。終電を無視して飲むことも友人の家に泊まることも二日酔いも昼までダラダラすることもジメッとした空気も強烈な日差しもすべてが最近の自分の生活になかった要素で、それらにあてられてどこかおかしくなっていたのかも知れない。スチャダラパーの言葉を借りるならば「夏のせい」だろうか。別にスチャダラパーじゃなくてもいいか。

5th WHEEL 2 the COACH

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ワイドショーは常に最悪ですごい

置き去りにされた子供の件。無事に見つかったのだからもうあとのことを関係のない僕たちが知る必要はまったくないと思うんだけど、今朝のワイドショーで退院した子供の様子が報じられていて本当にこの国のテレビって最悪なものばっかだと思った。知る必要がないという以上に、男の子の成長にとって有害なものに思える。こういうとき、どの局のどの番組では「取り扱っていなかった」という情報があればいいのに。イヤでも見なければいい、というのは一見正論だけど、有害なものを電波に乗せるのをまずやめるのが先じゃないか。

10年後とか20年後とか、「当時話題になったあの人は今」みたいな番組に大人になったこの男の子が出てきて、司会のくりぃむしちゅー上田が「子どもを置き去りにしちゃダメだよ!」とか言ってスタジオがどっと沸く、みたいのを想像して最悪だと思ってしまった。なお、この話において上田は完全にとばっちりであり、それに関してはすいません。

好きな店が閉店してもあんまり気にしない

ちょっと前に、「いい店がつぶれるのはあなたが行かなくなったからだ」という記事が話題になっていた。べつにこの主張そのものはまったく目新しいものではない。自分も昔はなんとなく同意していたけど、それはもう、過去の話。

本当にそうなの?あなたって誰のこと?俺?俺のせいなの?俺ひとりのせいなの?

例えば、いい感じのカフェがあったとして、月に売り上げが50万あれば続けられるとする(実際は全然むずかしい数字だと思うけど)。コーヒーが1杯500円だとしたら、1000杯注文しないといけない。俺が?ひとりで?そんなお金ないし、あっても飲めない。

それから、これを真に受けると、自分の好きな店がなくなる度「自分が行かなかったからだ…」と罪の意識に苛まれることになる。そんな風に思ってしまうくらいなら、もう街に出かけない!ずっと家にいる!買い物はどこにでもあるチェーン店でだけします!

というのは極論だけど、でもこの主張はやっぱり間違っていると思う。「あなたが」じゃなくて「みんなが」のほうが適切。自分ひとりでどうにかできることなんてたかが知れてる。

こういう話を何度も見るうちに、いつの間にか「買い支える」という発想自体を煩わしく思うようになってしまった。そんな曖昧な概念に振り回されるくらいなら、例えば「今週コーヒーがあと100杯売れれば来月もやっていけます」とか「文庫本が200冊売れたら年を越せます」とかはっきり言ってくれた方がよっぽど健全に思える。もちろん、そういうことをしない美学はあるだろうけど、困ってるときに困ってるって言ってくれたら、その店が好きな人は多分お金を落としてくれる気がするし、言ってくれないと何もできない。もしなにも知らないまま閉店して、それで「行かなかったあなたが悪い」なんてのは、ちょっと厳しい。

この「あなたのせいだ」っていう物言いは投票の話と似ていて、だから煩わしく感じるんだろうな。選挙と同じだとしたら、そりゃなおさら「自分ひとりじゃどうにもならない問題だよな」だ。自分の中で超納得してしまったので、この話は終わり。

あと、話は終わったからこれは余談だけど、もし好きで通っていた店が閉店したあと、「君があんまり来なかったからだよ」って言われたら超イヤだな。

2016年5月を振り返る(ラーメン編)

2016年5月に食べた珠玉のラーメン3杯について覚えていることを書きます。

赤羽:自家製麺 伊藤

立ち飲み屋を2軒はしごしたあとに食べたラーメンでした。麺とスープとネギという伊藤のシンプルなスタイルは、"締めのラーメン" として振る舞うときに最も活きるのかも知れません。とか言いつつ肉も食べるんですけどね。 余談ですが、この日私たちが飲酒しながら話をした様子がどこかで美術作品として発表されるそうです。続報を待て!(自分が)

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ramendb.supleks.jp

浦和:ORIGAMI

落ち着いた雰囲気で、古くから続く居酒屋や活気ある商店街や新しい商業施設が共存。若者向けのカフェや歴史ある神社など、どこを切り取っても、浦和は素敵な街です。そんな街のラーメン屋のレベルが高いのは、もはや必然と言えるのではないでしょうか。子どもを連れた家族も多く、ウェブにレビューを投稿するようなラーメン好きだけでなく、地域住民からも支持を得ているようです。こういうお店は、強いんだ。

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浦和:銀座 篝

「かがり」と読みます。名前の通り、本店は銀座にあるそう。昨年11月のオープン以来、いつ通りがかっても行列が絶えていませんでしたが、ようやく最近は落ち着いてきた様子。頼んだのは鶏白湯味噌ラーメン。おいしかったものの、私が味噌ラーメンに求めるものとは違う印象で、個人的には、ここで注文するのはベーシックな鶏白湯ラーメンのほうがよさそうです。ちなみに、近くには同じく鶏白湯ラーメンの名店「鶏そば 一瑳」があり、こちらはめちゃくちゃオススメです。

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まとめ

5月のナンバーワンラーメンは伊藤です。ありがとうございました!

osicoman.hatenablog.com

ラーメンと運命

つらいとき、楽しいとき、悲しいとき、うれしいとき、泣きたいとき…。ふと振り返ってみると、いつだって私の人生はラーメンとともにあった。日本中のたくさんの街で今この瞬間も新しいラーメンが産声をあげ、誰かに食べられるのを待っている。それは希望でもある。こんなに素敵なことはない。

2016年は「外でラーメンを食べるのは1ヶ月につき3回まで」というルールを設定した。そうすると、自然と選択が慎重なものになってくる。後悔はしたくないから、事前に念入りに調べるようになる。そうやって食べたラーメンはもちろんおいしい。ありがとう集合知。ありがとう、偉大なる先人たち。

しかし運命というものは基本的にいつも無常で、そうやって調べたラーメン屋が行ったその日に限って臨時休業だったりする。神は死んだ。もともとそのラーメン屋だけが目的だったから、他に寄るべき場所もない。このままでは電車賃を支払って散歩をしに来ただけのおじさんになってしまう。肩を落としながら駅に戻る道中、目的の店とは別のラーメン屋を発見した。

ラーメンで空いた心の穴は、ラーメンでしか埋めることができない。我が人生で得た、数少ない真理のひとつ。しかし、今の私には前述の「1ヶ月に3回まで」ルールがある。貴重な1回を、名も知らぬラーメン屋で消費してしまってよいのか。店の前で逡巡したのち、意を決して入店した。

都築響一『圏外編集者』に、自分の直感に頼らず食べログなどを参考にすることを痛烈に批判する一節があったことを思い出す。菊地成孔のブログも印象に残っていた。そういう言葉が引っかかっているというのは、どこかで最近の自分の振る舞いに違和感があったのだろう。

一番安くて評価の高い店を検索するのは、非常に時間をかけて行われる、集団的な自殺だ」というTシャツを作ろうと思っています。 - naruyoshi kikuchi INTERNET TROISIEME

事前の情報収集というのは、ままならない運命をうまくやり過ごすために人類が手にした有効な方策である。しかしそれは、自分が受けるダメージを最小化する行為でしかない。今の私たちに必要なのは、運命に中指を突き立てること。生を自分たちの側にもう一度引き寄せること。つまり…目の前のラーメン屋に入ること。

まだ見ぬすばらしいラーメンが、どこかで、食べられるのを待っている。「誰に」だって?そんなの決まってるじゃないか、もちろん「君に」だ。だからまずは一歩、踏み出そう。すべてはそこから始まるんだ。

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圏外編集者

圏外編集者

GRAPEVINE のライブを観た

4月1日。僕のいちばん好きな GRAPEVINE というバンドの、2月のニューアルバム発売を受けての約2ヶ月半にわたる今回のツアー、の初日。こっちだって、生半可な気持ちで観てはいられないぜ!と、まずは一人で景気づけ。渋谷の富士屋本店。

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これで1000円。15分くらい。サクッと店を出るのが大人。

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渋谷の再開発によってこのあたり一帯はどうにかなってしまうかも、みたいな話があった気がする。

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駅前、こんなに工事してるなんて知らなかった。再開発真っ只中の渋谷の風景はこれからどんどん変わっていくだろうから、写真に撮って残しておくことに少しは意味があるかも知れない、とか思いながらシャッターを押した。誰かの許可とかではなくて、動機の話。

SONY デジタルカメラ Cyber-shot RX100 光学3.6倍 DSC-RX100

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突然のアフィリエイトリンク失礼します。写真はこのカメラで撮りました。

そして、ライブ会場のある赤坂へ移動。失ってみてようやく気付く、というのはあんまりしたくないんだけど、やっぱり SHIBUYA-AX はよかったな。赤坂 BLITZ は、どこに住んでても行きづらい(ツッコミは必要としていません)。かといってお台場や新木場もアレだし、恵比寿はちょっと小さいし…とかとか。

肝心のライブは、思ってたよりずっとよかった。ツアー初日は演奏がどこかぎこちなかったりこなれてなかったりすることが多かったんだけど、この日はそういう風に全然思わなかった。きっちり練習したのかな。最初ちょっと調子悪いのかと思ったボーカルもすぐにあったまってきたし、会場の音響もよくて、それぞれの音がちゃんと聴こえた。

歌詞に強いメッセージ性があるわけでもなく、いつも「言いたいことは全部曲に込めました」みたいな感じでインタビューでも多くを語らず、そのスタンスを信頼しつつもその "曲に込められた言いたいこと" をすべて受け止められているのか…不安というわけではないけど、100%すべてわかっていたかというと多分そんなことはなくて、それには良い面も悪い面もあったんだけど、この日のライブは、なんだか、言いたいことのすべてが伝わってきたような気がした。自分の耳が育ったということも多少はあるのかも知れないけれど、バンドの演奏がよくなったことの方が大きい、という印象。

ライブを観るたびに感じるのは、それから新曲を聴くたびに感じるのは、20年も続いているバンドで、メンバーみんな40を超えているのに、今がいちばんフレッシュだということ。GRAPEVINE はツアーのたびにグッズとしてパンフレットを作っていて、ちょっと高いよな〜と思いつつもここでしか読めない・買えないのでファンとしては買わざるを得ない(ので買う)のだけれど、今回のツアーパンフレットに載っていたインタビューでは、メンバーが一様に「変化を求めている」ということを話していた。歌詞の書き方も曲の作り方も、ライブのセットリストでさえも、何もかもがとにかくそこから始まっている。その徹底したスタンスが、アルバムを聴いたりライブを観たりすれば一発でわかるのが、このバンドの何よりも魅力的な部分で、そこに嘘がないから、どこまでも信頼できる。こっちも常に新鮮な気持ちでいられる。これまでうまく言語化できていなかったことをはっきりと認識できた。やったぜ!

渋谷駅前の写真を撮ったときに考えたことは写真に限ったことではないと思ったので、こうやってブログを書いたのでした。


GRAPEVINE - SPF