あっ この感じは覚えていたい

いま読むべき唯一のブログ

1月が終わる

今月は中旬くらいから想像の5倍くらい忙しくなって、あっという間に終わってしまった。3時間くらいしか寝ないで土日も働く、というようなことをひさしぶりにしてしまい、自分が若くないことを痛感。こういうときにいつも、『俺たちのフィールド』というサッカー漫画で、ラモス瑠偉をモデルにしたと思われるキャラクターが「一流の選手は休息の取り方も一流なんだ」みたいなことを言うシーンを思い出す。なぜかわからないんだけど、この言葉は割と自分の中で大きな位置を占めている。

昨年末、ひょんなことから地元の同級生と再会する機会があり、その流れで有志で集まって新年会をした。自分は中学を卒業してからほぼ誰とも接点を持たずに生きてきたから、こんなことがあるなんて微塵も思っていなかった。自分以外の人たちは同窓会をしてるんだろうな、とか考える側の人間なのだ。インターネットで知り合った人の場合は、ツイッターでその人をフォローすれば(ツイートしないことは当然あるにせよ)その人の近況をそれなりの頻度で知ることができるんだけど、新年会で再会したほとんどの同級生たちはまったく事前情報のないまま約20年ぶりに自分の目の前に現れたわけで、その人生の重みというか厚みというか、そういうものに圧倒されてしまった。みんな生きている。

インターネットを使って同好の士とつながることも、地元の友だちと昔やったバカなことを笑い飛ばすのも、どちらも等しくすばらしい。両方知ってることを誇りに思う。笑笑で飲むレモンサワーがあんなにおいしいなんて知らなかったよ。

1ヶ月を振り返っていろいろ書こうとしたんだけど、いちばん大きなこのトピックを前に、すべて霞んでしまった。来月もがんばるぞ。

2017年よこんにちは

瞬間瞬間ではいろんなことをそりゃ人間ですから考えますけども、都合のよい性格のおかげでネガティブなことは大体忘れて、最終的に去年はかなりいい年だった。

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初詣に行った。おみくじは吉で、このくらいがちょうどいいよなと思った。

あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いします。

12月11日(日)

ポケットモンスター ムーン』をクリアした。

ゲームボーイ用ソフトとして『赤・緑』が発売されてから今年で20周年。シリーズを重ねることで積み上げてきた伝統のひとつひとつを「本当に必要なのか」見直した結果、すごく遊びやすくなっていて感心した。例えば、ポケモンを熱心に遊んできた人ほどちょっと垢抜けない UI が気になっていたと思うんだけど、今作ではかなり改善されている。(近作では力を入れていた印象があるものの)これまで添え物のような扱いだったシナリオもよかった。舞台となった「アローラ地方」のモデルはハワイ。南国の人ならではの性質なのだろうか、出てくる人が基本的にみんな明るく気のいい人たちだし、島ごとにガラッと景色が変わるのもよかった。

これまでの歴史を総括し、新しい未来をつくっていくんや!という気概をビシバシ感じた。おすすめです。

12月9日(金)

池袋でステーキ食べ放題。ひたすら肉を焼いて食べた。メニューが謎に充実していた(ご飯ものがやたら多くて、ふつうのごはんの他にパスタやらカレーやらうどんやらあった)のが逆にちょっと不安だったけど、そんな心配は杞憂でした、と同席した男性は満足した様子で語っていた。私も同意します。また行こう。

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12月7日(水)

よく聞いているラジオ番組でパーソナリティーの方がちょっと引っかかることを言っていたのでハッシュタグをつけてツイートしたらご本人からご返信いただけたのだけれど、それがまったくこちらの言い分を理解しようとしない強い語気で、呆れたような悲しいような気持ちになった。その人のフェミニスト的な言動はぜんぶポーズだったのかな、少なくとも本気で差別を解消しようなんて思ってはいないのかな、なんて考えたくなかったのに。実際どうなのかはわからないし、ツイッターでの短いやりとり故のすれちがいなのかも知れないけど、自分はそう思ったっす。は〜、やんなっちゃうね。

12月5日(月)

今日発売の週刊少年ジャンプは2017年1号。ということで、2016年1号から続けてきたポッドキャストジャン談」も無事2年目を迎えることに。飽きっぽい自分がよくもまあほぼ毎週欠かすことなく1年間続けられたものだと自分に感心してしまうが、それができた要因はふたつあって、「一人でやっていない」ことと「ジャンプが毎週出る」ことだ。

もし「毎週ひとりでジャンプについて話す」という形式だったら、多分7回も続けばいい方だと思う。しかしジャン談は明日さんとやっているので、必然的に相手に迷惑はかけられないなと思うようになるし、そういうプレッシャーだけでなく、逆に責任を分け合うこともできる。責任、というと大げさだけど、ひとりで話すことに比べたらガチガチに作り込む必要もないし、困ったら相手に話してもらえばよいので、気が楽。などと書き連ねるとなんだかビジネスライクな感じだが、話していて楽しいというのがいちばん大きな要因ですよ。それがあってこそのいろいろ。そもそも、ジャンプについて話せる人がいるというのが奇跡的なことだ。もう30すぎなもんで。

もうひとつ、ジャンプが毎週出る(もちろん合併号もあるけれど)というのも大きい。商売だから、というのはそりゃそうなんだけど、毎週20ページ程度マンガを描くなんて常軌を逸してるとしか思えないし、それらをまとめて毎週ちゃんと発売できるシステムもすごい。ポッドキャストを始めてから、以前よりもきちんと読み込むようになったんだけど、それをずっと続けていると、ジャンプがただ「いろんな作家のマンガが載っている」だけのものではなく、それそのものがひとつの有機体のような気がしてくる。

なんだかまとまらなくなってきたけど、2年目もよろしく!ってことです。ご意見・ご感想、「オレをゲストに呼べ!」「明日さんのピアノを聴きたい!」などのご要望があればどしどし osicoman @ gmail.com とかツイッターとかでお待ちしております!メッセージフォームも今後用意するつもりです(今決めました)。重ね重ね、よろしくお願いいたします。

12月4日(日)

池袋で『この世界の片隅に』を観た。ものすごくよかった。終わったあと、街を歩いているときにふと「自分が今こうして歩くことができるのは当たり前のことではないんだな…」などと考えてしまう感じ。今年いちばんよかった映画だ。まあ、他に映画館で観たのは『ズートピア』と『シン・ゴジラ』だけなんだけど。

12月1日(木)

「ついたち」というのは気分を新たにするには都合のいい日なので、身の回りのことを整理した。具体的には、ちょっとした目標を立てたり、そのために必要な Web サービスなどを検討したり、万年筆のインクを替えてみたり。月が変わったからというよりは、来年のための助走というイメージ。より高く遠くへ跳ぶための準備。やらないよりはやった方がいいのだ。

11月17日(木)

この2週間くらい、いくつかの締切が重なって、すっかり生活のリズムが狂ってしまった。17時を過ぎても「よっしゃ〜、今日まだあと8時間くらい作業できるぞ」みたいな気持ちになってしまってよくない。さばいていくスキルが足りてない。甘えもある。それはさておき、夜遅いほうが捗るのは間違いなくて、過剰な早起き礼賛に屈したくない。まあ、もういい歳なので、それぞれによさがあることは知っていて、うまく使い分けていきたい。

そう、自分はもういい歳なのだ。ちょうどあと1ヶ月で33になる。大学出たての頃とかはたぶん漠然と、28で結婚して、30で子どもができて、家を買って…なんてことを思っていた。でもそれは計画でもなんでもない借り物のイメージで、現状、全然そんな風にはなってない。独身・実家暮らしというのが現在のステータスで、めちゃくちゃ稼いでるわけでも、バリバリ働いているというわけでもない。でも別に全然気にしてないし、いつからだろう、気付いたら年齢に起因する焦りというのが、自分からほとんど消えていた(まあ、ただの諦めかも知れないけれど)。

だいたい、若い/若くないという評価が相対的なものでしかない。30過ぎたらもう若くない、という考え方がある一方で、例えば明日もし自分が死んだら、絶対にみんな「まだ若いのに」って言うだろう。葬式のときは、60くらいまでは「まだ若い」扱いになる気がする。所詮その程度のふわっとした概念に振り回されたり、誰かが勝手に用意したモノサシのひとつでしかない数字に一喜一憂するのは本当に意味がない。

世間のイメージというものがあるならそれは自分には1ミリも関係のないことだし、個人的な思い込みだったら多少無理をしてでも捨てないといけない。実際に言ってくる隣人は殴る。そして、死なないで、生き続けて、いくつになっても自由にやりたいことをやる。やっていくしかない、とまでは言えないし、それぞれ好きなようにすればいいと思うけど、自分はやっていく方を選んでいきたい。例えば、ついに明日リリースされる新作ゲームとかをね。

11月1日(火)

午後、打ち合わせのために東京に出る。ということで、iPhone 7 の Suica で改札を通り抜けてみる。Apple Watch で試したことはあったけど、やっぱり iPhone の方がやりやすい。ウォッチだと手首をひっくり返さないといけなくて、それは普段の生活にはない動きなのでなかなか慣れない。うまく距離がはかれず、別にいいんだけど、ウォッチが改札の Suica 読み取り面にぶつかってしまう。iPhone ならカードと同じ感覚なのでそんなミスもなくスムーズ。持ち物がひとつ減るのはすごいことだ。

10月が終わったので、少し振り返ってみる。紙の osicomagazine リリースは自分にとってとても大きなできごとだった。今となってはああすればよかった/こうすればよかったというのはアホほど浮かぶし、単純なミスもたくさんあった。けれども、自分にとっては全然そんなの気にならないくらい得るものがあって、大げさにいうと、これまでの自分の人生をすべて肯定できたような気がした。まあ、普段から割とそういう感じで生きてるんだけど。トーニャハーディングからのブログでのアンサーもめちゃくちゃアツくて、本当にありがたい。お互いの個人的なことなので第三者がどう思うかはわからないけれど、「距離感」というのは絶妙なタイトルだ。感服。

harding.jp

今月は紙の osicomagazine によって停滞していた他のことをグイグイ進めていきたい。締切があるのは幸せなことだ、と言い聞かせてやっていく。全然大丈夫。

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