あっ この感じは覚えていたい

いま読むべき唯一のブログ

誰かの顔(アイコン)

12月6日(金)。

熱心な当ブログ読者におかれましてはすでにお気付きのことかと存じますが、ここ1週間くらい、書かれた日の1週間後の0時に日記を公開するようにしてみている。

タイミングを少し遅らせて定期的に公開することに対して「あまり気が乗らないな〜」といつかの日記に書いた覚えがある。そのときはたしかにそう考えていたが、いざやってみると、いまのところかなりチョーシがいい。目まぐるしい現実に即レスしないことで自分の精神を清潔に保てていると感じるし、逆に間をあけることで火を灯し続けられるようなこともあるのではないかと思う。

文章を用意すること自体は早めに済ませ公開だけを遅らせているから、日記への熱量が下がるわけではない。読み手にとって1週間前の日記がどう捉えられるかはわからないがもとより発信する側のコントロール可能な領域ではないのだから気にしたってしょうがない。「0時」に深い意味はなく、4時でも12時でも20時でもいい。「告知に適した、なるべくたくさんの人の目に触れる時間」みたいなものを考えることすらいやだ。そんなのまじのガチでなんの意味もない。たくさんの人に見てもらうことがゴールなら止めないけど、それをゴールにしてる時点で話が合わないし、やめたほうがいいんじゃないとも言いたいが、具体的に誰かの顔を思い浮かべてこれを入力している訳ではない。振り上げた拳を下ろす。周りに誰もいなくてよかった。

と、ここまで入力して要するにぼくはマーケティングっぽいことが嫌いなんだなと気付いた。こう言い換えたら一気に視界が開けた。なるほどなるほど…。

最近、文章がうまくなりたいと強く思うようになった。今でもぼくの文章は最高で他の誰にも真似のできない価値を生み出しているのだけど、そこにうまさを上乗せすることで、勝って勝って勝ちまくりたいのだ。ザコは全員ぶっとばしていくぞ。

最後の一文は具体的に誰かの顔(アイコン)を思い浮かべながら入力した。