かざした右手で時を止めろ

いま読むべき唯一のブログ

「呪われる」ってどういう感じ

6月30日(日)。2019年、折り返しっすね。

今日も朝から原稿の依頼。これは勤勉さからくるものではなく、お願いするなら今日の朝がギリギリだろ、という、むしろ怠惰に駆動された結果で、は〜、成長しない。ありがたいことに今のところご快諾いただけ続けている。絶対にいい感じになりそうなんだけど、あんまり今の時点で言っても、ね。やれんのか!

新宿であーちゃん・しおりーぬと待ち合わせ。大戸屋でパフェを食べる集まり。目指すは西新宿のオフィスビル

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もし自分がオフィス街のコンビニでバイトをするなら積極的に土日にシフトを入れると思う、だって、圧倒的に楽そうだもの。そう言ったら、でもやることの少ないのは退屈じゃない? と返される。一理ある。というか、どっちもある。

本当にこの世界は「どっちもある」ことばかり。分断や対立を煽っている場合ではない。

この大戸屋は外に面した壁の全面が窓ガラスになっていて、外の景色がよく見える。照明もちょっと落ち着いているし、となりのテーブルとの間隔も広く、北関東みたいな余裕がある。向かいにあるビルといい感じの高さの樹木の緑(ここの木は伸びすぎないよう管理されているのだろうか)と、さっきは降ってなかったはずの割と強めの雨の組み合わせが目に心地よい。外に出るまでには止んでほしいけど。

パフェを食べにきたが、ぼくは白玉ぜんざいを頼んだ。

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ふつうにごはんも食べた。

結局、雨はやまなかった。

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夕方、ひとり屋上へ向かう。以前参加してめちゃくちゃ感銘を受けた歌会の第2回があって、参加申し込みには間に合わなかったのだけれど、オーディエンスとして自由に見学してよいことになっているので。全然間に合わない時間だったけど、前回は大幅におしていたので大丈夫だろとたかをくくっていた、しかしそれが完全に裏目で、着いた頃にはばっちり終わっていた。主宰の山階さんにあいさつ。今回は時間通りに終わるよう意識して進行したとのこと。それは完全に正しい。

参加を申し込むとき、フォームに名前や連絡先などの他に、自作の短歌も入力する必要があるのだけれど、なかなかよいと思うものができず、手応えのあるものを用意できたのが締切の日の夜で、しかしそのときにはもう応募は締め切られていた。そのことを伝えると、運営側としても認識していて、かつそれは避けたいということで、次回は参加申し込みと短歌の提出は別のタイミングにするとのこと。やったね。

その流れで、短歌をつくるコツはありますか? などという、今考えると雑にも程がある質問をしてしまった。よ〜し今から十首つくるぞ、というテンションでやれる人もいれば呪われたように常に考えてしまう人もいる、しかしそれとは別に数をこなすことは必要、とのこと。結局、創作においてはすべてそうなんだろうな。自分に足りないものが何か、自分がいちばんわかっている。

明日に備えて早めに帰ろうと思っていたのに、遅くまで残ってしまった。歌会にオーディエンスとして参加していた方と感想を言い合ったり(実質的にこれも歌会だ)、古道具屋に行ってきたという方に、買ったばかりの石でできた犬や木彫りのフクロウを見せてもらったりした。手のひらにおさまるサイズのそれらはフィギュアのご先祖様みたいだった。自分の生活に「古道具」という概念は存在しなかったので、新しい回路が開かれたようでうれしい。

店を出るのがすっかり遅くなってしまった。ひとり電車に揺られながら、山階さんの言葉を反芻する。「呪われる」ってどういう感じなんだろうな。自分はそっち側に一生いけない気がする。よい/悪いは別として。