あっ この感じは覚えていたい

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最短距離で人生の話

6月8日(土)。福岡旅行、3日目。

朝、起きるとゲストハウスのオーナー氏が昨晩の惨状の処理に追われていた。詰め込んだ予定は昼からなので、午前中はできる限りだらだら過ごす。

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六本松の蔦屋書店でレオくんと待ち合わせ。カレーを食べる。この日のカレーは1種類しか頼めず、しかしそのことを完全に理解できていなかった我々は、店主にいきなり「大盛りにする?」と聞かれてやや戸惑う。理屈で考えるとそれは正しいんだけど。置いてあったテレビではホークス・広島戦の中継が流れていて、その組み合わせに自分がいつもと違う街にいることを実感させられる。ふだんはスポーツニュースでダイジェスト的にしか観られないやつ。

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福岡、カレー屋がめっちゃ増えてるらしい。おしゃれな街がそうなるのって、なんなんすかね、『ラーメンと愛国』的な感じで誰か論じてくれないかな。まあ、ぼくはその本は読んでないんですけど…。付け加えると、埼玉にはあんまり今っぽいカレー屋がない気がする。ぼくの主な観測範囲は大宮とか浦和だけど。そのかわりに(かわり?)埼玉のラーメン屋の強さは異常、だと思っているんだけど、それはまたの機会に(あるのか?)。

大濠公園へ向かう途中、カフェラテを持ち帰りで買う。このお店のロゴ、メガネでもあり、コーヒーカップを上から見た様子でもあるんだね。ウェブサイトを見るまで気付かなかった。お店を出るときに「今度はゆっくりしていってね」と声をかけてくれて感動…。福岡の人、みんなやさしくない?

www.dayscupcafe.com

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大濠公園、柵がないことにめちゃくちゃ感心してしまった。ぼくが思い浮かべたのは不忍池とか井の頭公園だけど、いちいち「東京だったらどうだろうなあ」とか考える。柵、いらんよな。公園を訪れる人に対する信頼ゆえのものなんだろうか。一方で、公園内のカフェがスタバなのは客層をうす〜くコントロールしたい意図があるのかな〜、などと思う。ゆるやかなジェントリフィケーション。レオくんはそういう話が通じる、というか、自分よりもそういったことに明るいので話していて楽しい。その他のトピックは、自己肯定感の持ち方、本来的に化粧水に意味はない、水草水槽のすばらしさ、今の『食戟のソーマ』は本当におもしろくない、など。

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天神に移動。「本のあるところ ajiro」という書店に連れていってもらう。最近のぼくは短歌に興味があって、ちょうどフェアをやっていたのでまんまと2冊、歌集を買う。運営元の書肆侃侃房という出版社は短歌に力を入れているみたい。思いがけないタイミングで好きなことや関心のあることがつながっていくのは楽しい。このために生きている、みたいなところがあるし、旅はその感覚を得るための有効な手段のひとつだ。

近くのドトールで時間をつぶしたのち、ついに本日の、というか今回の旅行のメインイベントである、GRAPEVINEのライブへ。

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ツアー初日・リキッドルームでの公演からセットリストはそんなに変わっていない印象。でも、そんなことはあんまり関係ない。同じ曲でも状況に応じてまったくちがって聴こえてくるのが音楽で、だからこそ、わざわざ遠い街にライブを観に行くわけ。リキッドルームでは演奏されなかった「Reason」や「スカイライン」といった中期の曲が、リリースから10年以上の時を経てあの頃以上の瑞々しさでもって鳴らされることの尊さに感情が爆発。10年以上の時を経たら、当たり前だけどみんな、同じ分だけ歳をとっているわけだというのに。は〜、すご…。

盛りだくさんの1日だけど、ようやくこれでおしまい!…ではなく、人と会う約束があるので移動。移動ばかりしている。

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昨日知り合ったばかりのなみさんと、彼女の職場の近くで待ち合わせ(土曜出勤おつかれさまです)。昨夜、みんなで飲んでいるときに少し話をしたのだけれど、そのときになんだか気が合いそうな予感があり、誘ってみたら快諾してくれたのだ。福岡の人、なんてやさしいんだ…(2回目)。おすすめのラーメン屋はスープが切れてしまっていて、その近くの居酒屋へ。店名を忘れてしまった。また行きたい。一軒家を改装したようなつくりで、昭和テイストを全面に押し出していた。

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1杯目を頼んで一息ついたところで、「ゲイですか?」と聞かれた。それはたぶん、爪を塗っていたから。面と向かって人にそう言われるのは、よくよく考えると初めてだったかも知れない。でも、「知り合って間もないのに不躾な質問をするなあ」みたいなことはまったく思わなくて、それは彼女の人柄によるもので、その質問でもう、逆に、一気に惹きこまれてしまった。おかげで遠回りをせず最短距離で人生の話ができた。すっかりインターネット経由で人と知り合うことのほうが多くなった。その場合ブログやツイートなどでなんとなくお互いの人となりがわかっていて、そのおかげで自己紹介をスルーできて話が弾むことはある。今回はそういう間柄でもないのに、めちゃくちゃ心を許せて、一瞬でなんでも話せるような気持ちになってしまった。うまく言葉にできないけれど、不思議な魅力をもった人。ちょっと危うい感じもある。あと、念のため断っておくと、ぼくはゲイではない。

彼女の話してくれたエピソードがどれもなかなか衝撃的で、ライブを経て感情が服を着て歩いているみたいになっていたぼくは、聞きながらうっかり涙を流すなどしてしまう。ホホホ…。すごく落ち着いた人だなという印象だったのだけれど、話を聞いたあとでは、納得するほかないという感じ。まじで、よく生きていてくれたなあ、っていう(交通事故で死にかけたことがあるとのこと)。

抱えた衝撃的なエピソードの数と人柄のよさに相関はないけど、そういうことから何を得てどういう生き方を選ぶのか、というのはその人そのものだと思う。彼女の姿勢には見習うべきところがあったし、また話をしたいし、知り合えてよかった。一言でまとめるなら、めっちゃエモい気持ちになった。

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こんなに毎晩胸いっぱいになっていて身体はもつのだろうか。明日には帰るのが、ちょうどよかったかも。

…なんて感傷に浸りながらゲストハウスに戻ったら、今夜は満室らしく部屋に充満するおじさんのにおいに勘弁してくれ〜となる。想像してごらんよ、部屋におじさんのにおいが充満している様子を。木曜の夜、帰り際に振られた別に今日じゃなくても全然いいような仕事をなんとかこなし、無駄に疲弊した身体を引きずって、今日は1本ビールを飲んだらさっさと寝ようと思って玄関のドアを開けたらおじさんのにおいがしてくるのを。無理でしょ。世界中のゲストハウスには DEOCO を常備してほしい。