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謝罪したらそれでもうオッケー

5月27日(月)。Netflixで『進撃の巨人』を観ることが月曜の楽しみになりつつある。

しかしねえ、まさかアルミンが黒焦げになってしまうなんて、ねえ…。えっ、まじか、と思ってうっかりインターネットで検索したところ、どうやら死んではいないっぽい…のか? よくわからんけど、己のふるまいに情けなさを感じ、手を止める。もらい事故で、リヴァイ兵長が原作の方で死んでしまったっぽい情報を見てしまったし…。

少し前に「カルチャー顔」とかいう最悪なカテゴライズを下心丸出しでバズらせようとした浅い人間が各方面&その記事で取り上げた小袋成彬にめちゃくちゃ怒られるという最悪な騒動があり、ロンドンまで直接謝罪に行って反省したとのこと。

doncry.hatenablog.com

全体的にはすごくいい話に見えるし、よいと感じるところもあるんだけど、一点、まったく納得できないことがあった。

このツイートを受けて、実際にロンドンの街をいろんなルーツの人々が歩いているのを見て「すべての人々がもれなく美しいことを知れ」という言葉の意味を理解できたらしいんだけど、本当に?

小袋成彬のこの発言とそれを実際にどう感じるかはまったく違うことだと思う。そういう光景を「美しい」と感じるとき、重要なのはなぜそう感じたかではないか。それがこの記事からは読み取れず、故に、何も考えてないんじゃないのかと不安になる。「いろんな顔の人がいるのを実際に見ました、それで間違っていることに気付きました」はちょっと軽すぎないか。そのくらいは想像力で最初から制御できていてほしい。

カルチャー(という言葉、うすら寒くて好きではない)を扱うメディアの編集長がこんな風に第三者の言葉をそのまま受け取るだけでいいの? 自分の感情の持ち方を他人に委ねているだけで、誠実に向き合っていないように見える。この件は謝罪したらそれでもうオッケー、明日にはみんな忘れているようなネットでよくある炎上案件のひとつではなく、もっとずっと深刻なものだと思う。ひとまず一件落着、みたいな空気があるのか知らんけど、絶対に忘れないようにするぞ。

集合写真を「アー写みたい」と小馬鹿にする、「人の価値は付加価値で決まる」という意味不明な発言、お金持ちをほめるとよりよい社会になるという謎理論。この1年くらいのイヤな気持ちになるトピックに新しいコンテンツが加わった。あ〜、今日もインターネットは最悪だな(そしてやっぱりこういう話題のときにぼくは饒舌になってしまうな)。