スッ…とシャットダウン
3月8日(金)。晴れ。
仕事を切り上げて、スカイツリーへ向かう。何度か行ったことはあるけれど、意外と平日に訪れるのは初めてかも。
Airbnbで借りた部屋に泊まるイベントがあって、友だちと妹はすでにチェックインしている。友だち、妹、子どもがふたり、そして自分というふしぎな組み合わせ。こういうの、嫌いじゃない。急がなきゃって思うんだけど、ソラマチのお惣菜コーナーがぼくを離そうとしない。当たり前だけど、うちの近スー(近所のスーパー)とはラインナップが全然ちがうのがおもしろくて、ずっと見てしまう。
外から来た人にとっては観光地でしかなくても、その土地で暮らす人にとっては近スーなんだなあ、という当たり前の実感に胸がつまる。当たり前のことをすぐに忘れてしまって思い出してはエモくなる、というのを一人で勝手に繰り返していて、ぼくはちっとも成長しないな、とか、安上がりでいいな、とか思う。買物を終え、みんなが待つマンションへ向かう。スカイツリーから少し歩いただけで、どこにでもありそうな住宅街が広がっている。
友だちの子どもにめっちゃ嫌われたらどうしようと少しだけ思ったけど、予想の100倍くらい向こうからグイグイ来てくれて思わずにっこり。子どもという存在もまた自分にとっては「わかった」感のない存在である、とチョーシに乗って最近の日記の内容に引きつけて書いてみたものの、ちょっとちがうな。子どもに限らず、人間はもともとそういった感覚とは最も縁遠いものではなかったか。それで、じゃあなぜ時にカップルは別れの理由に「刺激のない」ことを挙げるのか、などと思い、このまま先に進んでも盛大なブーメランにしかならない予感がして、スッ…とシャットダウン。話をこの日のことに戻そう。
寝かしつけが済んだあと、ゆっくりと話す時間をもてた。そのとき彼女がこぼした「あの頃はイキってたからね」という言葉を思い出すと、なんだか泣きそうになってしまう。
数年前、新幹線に乗る前の空き時間に東京駅近くでお茶をする機会があった。そのときに聞いた未来の話と今の生活は全然ちがっていて、でも、うかつなことは言えないけど、現状のほうがぼくには楽しそうに見えている。そのときのことを振り返って「イキってた」と彼女が自嘲気味に語ったそれは、不安を覆い隠すためのものだったんじゃないかなあという気がする。ぼくはなんでもかんでも真に受けてしまうから、そのときは素直に感心していたのだけど。真に受けるというのは自分で考えているよりずっとよくないことなのかも知れない。
このブログを熱心に読んでくれていると言ってくれて、絶対にこれも読むだろうから、あんまり踏み込んで書くのは照れくさかったんだけど、結局、割といつも通りな感じになってしまった。また会う日まで、元気でね。