村上春樹『職業としての小説家』を読んだ
僕自身は熱心な村上春樹の読者というわけではなく、読んだことのあるのは『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』と『海辺のカフカ』と『ダンス・ダンス・ダンス』くらいだし、それらが特に大好きなわけでもなく、だから別に人生に多大な影響を与えたこともないんだけど、でも嫌いではなくて、それはたぶん世間の大多数の人と同じスタンスだと思う。
ちなみに初めて手に取ったのは『ダンス・ダンス・ダンス』で、きっかけは「ミスチルの Dance Dance Dance と関係あるのかな」と思ったから。
読んでて印象に残ったことはいくつかあるんだけど、今の自分にいちばん響いたのは例えば以下の部分。
一人の表現者なり、その作品なりがオリジナルであるかどうかは、「時間の検証を受けなくては正確には判断できない」ということになりそうです。あるとき独自のスタイルを持った表現者がぽっと出てきて、世間の耳目を強く引いたとしても、もし彼なり彼女なりが「オリジナルであった」と断定することはかなりむずかしくなります。多くの場合ただの「一発屋」で終わってしまいます。 (村上春樹『職業としての小説家』 p.91 - p.92)
時間のことはこの本の中で何度か出てくる。
糸井重里が毎日新聞の記事で、ネット上の極端な言説や強い言葉について、こんな風に言っていたのを思い出した。
極端で過激なことを言って目立とうとする人は経済効率の話なんだと思っています。本当に認められようと思ったら相応のコストをかけないといけないけど、極端なことを言ってコストをかけないで安く自分を認めてほしいっていう話だと思うのね。
ウェブに関わる仕事をそれなりの年数続けているせいか、あるいはもともとの性分なのか、そういう性分だからそういう仕事をしているのか、わからないけど、せっかちというか、こらえ性がないというか、じっとしていられないというか、インスタントに結果を求めてしまうというか、そんなのがどんどん加速していってる気がしていて、よくないとずっと昔から思っているはいるんだけど、思っているだけで具体的な対策を講じたわけでもない、みたいな状況で、それでこれは本当に耳が痛いのだけれど、さて。
あと、これは完全に余談なんだけど、何人か、具体的な(日本人の)作家の名前を挙げていたのがよかった。ページ数が割かれているわけではないけれど、そういう部分があると、一気に身近に感じられる。というか僕が好きなだけで、そもそもそれはゴシップ的な下世話な興味によるものだという気もするんだけど。New World はアジカンをイメージして作ったとか、フジファブリック志村正彦の BUMP OF CHICKEN『花の名』を分析をしてるのとか、好き。あと、草野マサムネはインタビューでいろんなミュージシャンについて言及する印象がある。
- 作者: 村上春樹
- 出版社/メーカー: スイッチパブリッシング
- 発売日: 2015/09/10
- メディア: 単行本
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